来月、遂に30歳を迎える。
華々しいキャリアも無ければ、結婚も出産もしないまま30歳になることに「これでよかったんだろうか」という思いがよぎる。
健康に、ただ無事に生きてきただけなのに、30歳の誕生日は嬉しさだけじゃないモヤモヤがつきまとうのはなぜだろう。
「婚活市場で29歳と30歳では需要が雲泥の差です。」なんて記事を見て
「馬鹿馬鹿しい」と思いながらも、どこかで無視できなくて、がむしゃらに合コンだのアプリだのと手を出した。
しかし、結婚というプレッシャーの中で相手の条件を見極めながら誰かを好きになることが私には出来なかった。
そして何より、上手くいかないと自分の消費期限が刻一刻と近づいてくるような恐怖があった。
無視したくてもしきれない「結婚=幸せ」という価値観
結婚も出産も自由だという風潮が少しは出てきたけれど
「結婚できない女の5つの特徴」「彼氏ができない人の残念なポイント」などという、一人でいることをマイナスと捉え、その対象となる人を脅かすような記事が未だに溢れている。
世間が多様な生き方を全面的に肯定し、良しとしているとは言いがたい。
きっと「結婚しちゃう女の5つの特徴」なんていう「結婚」をネガティブに扱う記事は一生出てこない。
「恋愛や結婚は幸せの象徴」という価値観は根強く、独身で彼氏がいないことはどこか哀れみの対象だ。
そして私自身もそんな価値観に縛られる一人だ。
彼氏のいない友だちと「彼氏いなくても心穏やかで普通に楽しい。でもこんなこと言ってるのヤバイよね、末期だわー」などと言って、自分の現状や素直な気持ちを肯定しきれず、自虐的に笑い合う。
だが「独身で生きていく」と宣言する覚悟もないし、それどころか結婚してみんなが羨む「幸せ」を私も欲しいという気持ちが大いにある。みんなに寄ってたかって祝福されたい。
結婚式以外に自分が主人公の集まりなんて葬式ぐらいのものだろう。
楽しい独身生活のはずなのにふとした瞬間押し寄せる不安。でも……
一方で独身は自由で楽しい。
彼氏と別れて一年になるが交際してたときより心は軽い。それは本心なのにそれで満足しちゃいけないような焦りに駆られることがある。
そしてもう一人の私がささやく。
「もう若くない。今はいいかもしれないけどみんな結婚して子育てが始まったら遊んでくれなくなる。いい男は売り切れちゃう。親もいなくなる。誰からも相手にされなくなる」と。
そんな見えない未来の孤独と狭い価値観の呪縛に自らがんじがらめになり、もうお先真っ暗なんじゃないかと苦しくなる。
世間の風潮を変えることは至難の技だ。
この先も若さや結婚、出産は美徳であり続ける。
それは子孫繁栄という本能に基づくものだし仕方のないことかもしれない。
誕生日には職場のおじさんからお祝いの言葉と「いい男見つけろよ!」と屈託のない笑顔で激励を受けるだろう。
(もし言われたらなんでそこに結びつくのか、なぜそれを唯一の幸せと思い込んでいるのか冷静に聞いてみたいと思う。)
だが、自分で自分を痛め付けるのはやめられるはずだ。
「正解」に悩み続けた29年間。そんな自分を救うのはきっと「知性」
若さを失うのは恐ろしい。
自分の真価とは何なのか、そんな厳しい現実が突きつけられる。
けれど避けては通れない。
若さという武器を置いて、知性と理性を身に付ける時がきた。
それは若さと比べて見えづらく、鍛練も必要で使いこなすには時間がかかる。
しかし磨けば磨くほど私を守り、他者への寛容や幸せをもたらしてくれるだろう。
これまで恋愛や結婚ばかりに悩まされ、目を逸らしてきた沢山の問題がある。
政治のこと、福祉のこと、原発のこと、難民のこと...
知らなきゃいけないと思っていても臭いものには蓋をしてきた。
けれど、これからは「知らないこと、わからないこと」から逃げずに向き合っていく。
今更だけど学んでいく。
結婚してもしなくても学び続け、視野を広げることが私を孤独や迷いから救う唯一の方法かもしれない。
そして歳を追うごとに成長する私を愛そう。
30歳の扉をちょっと緊張しながら開く。
きっとそこに待つのは「希望」だ。