髪の毛を後ろで一つに結ぶ。
それは、世界に対する些細な反抗の狼煙だった。
中学一年生の夏休み、皮膚がんと闘うために手術を受けた
私の左耳のうしろには、髪の毛がない。
中学生の時に発覚した皮膚がんは、最初は小さな腫瘍だった。耳の後ろに、ぽこり。一度摘出したそれは、次は首に転移した。
癌だと診断され、手術を受けたのが中学一年生の夏休みのことだ。足の付け根から皮膚を取り出して、ごっそり肉を落とされた左耳の後ろにぺたりと貼り付ける。
手術後の病室で、初めて鏡の前に立った時を覚えている。包帯でぐるぐる巻きの首からよくわからないチューブが伸び、その包帯の下には、赤黒い大きなかさぶたが出来ていた。
そうして私は、髪の毛を結べなくなった。
この傷を厭うことは、私自身が自分を否定することになる
ショートカットが好きだ。さわやかで、涼しげ。できれば、ベリーショートにしたいなと、ずっと願っている。だけれども、極端に短ければ傷口が見えてしまう。
美容院ではいつも「傷が見えないくらい短く」とお願いする。美容師さんは少し困った顔をした後に、私がしたい髪形よりも長めに髪を切ってくれる。本当は、もっと短くしたいのに。
エスカレーターに乗ると、前の人の綺麗なうなじが目に入る。切りそろえられたベリーショートや、高く掲げられたポニーテール。耳の後ろから首筋までの曲線。私にはないもの。
ちいさな劣等感が、うすくうすく降り積もる。
それでも、この傷跡は私が生きている証だった。
身体に傷をつけながら、病を生き抜いた証だった。
この傷を厭うことはつまり、私自身が自分を否定することに他ならなかった。
思春期の反抗の狼煙は、同級生の一言で打ち砕かれた
あれは高校一年生の夏。クーラーが掛かっていても蒸し暑い教室で、午後の授業を受けていた。
淀んだ教室の空気、食後の気だるげな同級生たち。そこに思春期の鬱屈とした気持ちが重なり合い、無性に叫びだしたくなるような、そんな日。
私は、叫ぶ代わりに髪の毛を結んだ。
いつもなら、耳の左側でまとめて傷口を隠す。けれどもこの日は、後ろで一つ結びにした。首筋に当たる空気が心地よくて、すっと晴れやかな気持ちになる。
ようやく本当の自分の姿になれたような、それくらい胸のすく思いだった。
だけれども、その爽快さもすぐに消え去った。
後ろの席に座った同級生の「きもちわるい」という一言によって。
あの日の悔しさを、今なお覚えている。
傷口をきもちわるいと言った、彼の名前は忘れてしまったのに。
悔しくて苦しくて、授業中こっそりと泣いた。無神経な発言に腹を立て、その程度で傷ついた自分に更に腹を立てた。
なんだ、全然愛せてないじゃないか。なにが生きた証だ。些細な同級生の一言で、こんなに傷ついて。馬鹿みたいじゃないかと、自分を嘲り笑った。思春期の私にできる、精一杯の強がりだった。
高校一年生の、小さな反抗の狼煙は、こうして綺麗に打ち砕かれた。
十年近い月日を共に過ごした傷口を、やはり私は愛している
あれからもう十年近く経とうとしている。
傷口は年々癒えていき、どす黒い赤紫から綺麗な肌色へと変わった。それでも今なお、髪の毛は生えてこない。元は足の付け根の皮膚なのだから、当たり前だ。
十年近い月日を共に過ごした傷口を、やはり私は愛している。生きている証で、生き抜いた証だから。
それでもショートカットに憧れるし、ポニーテールを見ると目を細めてしまう。
だけれどもそれは、一方的な羨望の眼差しで、私の髪形を限定しているのは結局私自身なのだ。いつまでも、あの教室で泣いていた私自身。
コロナ禍でしばらく行けていない美容院。次に行くときは、ベリーショートにしてくださいと、自信を持って言おうと思う。