小学生の頃から自分に自信がなくなっていき、背中が丸くなっていった

私は猫背だ。けっこうひどい猫背だと思う。気がついたらその姿勢になっている。スマホのせい、親として小さな子供の相手をしているせい、目が悪いせい、姿勢を維持する筋肉が足りないなど、挙げようと思えば、いくらでも理由らしきものは見つかる。その中でも、立ち居振る舞いには精神的な原因も根深いと感じる。いつからこうなってしまったのだろうか。

物心ついた頃や、幼稚園の頃は特に問題がなかったように思う。
しかし小学生になると、視力検査でメガネをかけるように言われ、同じクラスの子供に何か言われないか不安でかけられなかったり、下校時知らない高学年男子にゴリラと叫ばれながら追いかけられ怖かった小学一年生の時の心の傷や、親にもうまく話せない不安を消化できないまま、どんどん自分に自信が持てない思考回路を育ててしまったように思う。少しずつ、背中は丸くなり、小さくなって目立たないようにしていた。

容姿や人のプライベートをいじり笑いのネタにする風潮が心底嫌いだ

私は他人に興味がないと思っているが、街中で笑い声がクスクスと聞こえれば、私のことを嘲笑っていると感じてしまう。実際そういうこともあったが、たった数回の経験から臆病になってしまった。逃げるように家に帰る足は歩くスピードが速い。追い抜いた同じクラスの普段話さない女子の群れから、競歩みたいと笑われて何か言われているのを後にして、もう嫌だ、1人の方が楽だと何度も思った。いじめられていたわけじゃないが、誰とも心を開いて打ち解けられなかった。自分に自信が無いのだ。他人と関わることが苦痛で、年齢を重ねるにつれ、友達を作ることすら怖かった。

見ず知らずの人間の物珍しく感じる部分を群れをなして笑い馬鹿にする風潮が心底嫌いだ。話のネタに困るほど暇なのだろう。放っておいてくれ!

人間として真っ白で生まれた赤ちゃんたちは、少しずつ周りの環境に嫌でも染められているのだろう。

私はテレビか嫌いだ。特にワイドショーやバラエティ、ニュースの容姿や人のプライベートをいじり笑いのネタにする大人たちは悪魔のように思えたし、くだらないとずっと思っている。なぜ他人についてそんなに放送したがるのか分からないし、私の人生にそれほど関係ない人間のことをけなしたりドロドロした部分をみんなで攻撃するような、対個人向けの攻撃的な思考を助長する企画や記事がなぜまかり通るのか。
それを面白がり学校で話すクラスメイトや、話題やノリについていけない者を除外しようとするくだらない縄張り意識の溢れる集団を量産する種をまく情報操作が本当に嫌だ。

まずは自分自身を変えたい。だから、胸を張っていい姿勢で過ごそう

気にしないで、自分の軸で自分の世界を生き、自分の仲間を作れたなら。踏み出せないでしがみついて、猫背で丸まり諦めたのは私。誰よりも周りを気にしているのは自分自身。辛いと思わずに、話して笑っていたら、今の自分は違っていたのかと思いを馳せても終わったものは仕方がない。
まずは自分自身を変えて、自信を持てるように。胸を張っていい姿勢で過ごす。子供たちが自分を愛せるように。話しやすい母になりたい。子供たちの世代は、もっと自由に、自分を愛せる世界になるように。今できることは、私として生きることを味わい、子供とともに楽しむこと。そうして大好きで幸せな自分にたくさん出会えば、世界で一番大好きだと伝え続ければ、この世界と自分とのバランスをとりやすくなるのかもしれない。自分を信じることって、自分にしかできないから。それを助けるかけらをたくさんあげられる人になりたいな。

眠る我が子の背をさすりながら、考えたのでした。