私の父は、医者だ。人の命を救うために、懸命に働く父。
そんな父のことが、私は大嫌いだった。

私の「心」に暗い影を落とした、仕事ばかりで遠い存在だった父

幼少の頃、父と家で顔を合わせることは殆どなかった。深夜遅くまで仕事をし、病院で寝泊りすることもしばしば。週末に珍しく家族で出掛けても、救急車を見つけるやいなや、父も患者と一緒に病院まで乗っていってしまうなんてこともあった。

私が中学生になると、父は単身赴任を始めた。務めている病院が、遠くに移転したからだ。それから、父と私の関係性はますます希薄になった。「来週には帰る」「来月には帰る」と言いながら、次に会うのは季節が一巡している頃。とはいえ、元々家にいることが少なかった父のことを、家族と呼ぶには遠すぎる存在のように感じていたため、最初は全く気にしていなかった。

しかし、月日が流れるにつれ、私は次第に不在の父を恨むようになる。友人たちが、父親との何気ないやりとりや、家族団欒のエピソードを当たり前のように話すのを聞き、父の愛を知らない自分を恥じるようになったのだ。

私はなぜ、父に愛してもらえないのか。私が何かしたというのか。何度も自問自答を繰り返し、いつも最後には、心の中で父に泣きながら問いかけた。

父の存在は、私の様々な価値観の形成に影響を与えた。将来、父のような仕事人間と結婚しなくても、十分なお金を稼げるように人一倍学業に勤しんだ。交際相手を選ぶ基準も、父とは真逆な人。仕事における成功より、家庭を重視する男性とお付き合いをした。

嫌いだった父と私の「共通点」から、父という人間を考えてみる

そんな父親嫌いの私だが、25歳になった今、自分が父に似ていると感じるようになった。大嫌いな父に似ている自分。そんな自分を嘆きつつも、自分と重ね合わせながら父という一人の人間を捉え直してみると、長年厚い靄がかかったように見えないでいた父の気持ちが、少しだけ分かってきたような気がする。

父は、家の中では嫌われ者でしかなかったが、医療現場では誰もが認める一流の医者だった。若くしてその腕を見初められ、瞬く間に上まで登り詰めた。順風満帆の医者としてのキャリア。その手で救ってきた命は、数知れないだろう。しかし、その裏には、父の人命を助けることに対する情熱と血も滲むような努力があったに違いない。

私は今、そんな父のように、世の人の役に立ちたいという思いで、仕事をしている。私は医者ではないし、命を救う父に比べたら、ほんの小さなことしかできないかも知れない。でも、私が持っているこの情熱は、父から受け継いだもののような気がしている。

父と私が似ているところは、それだけではない。負けず嫌いなところ、プライドが高いところ、一つのことに熱中しやすいところ、お酒が弱いところ、足の小指をテーブルの端っこにぶつけがちなところ...。昔から似ていることには、気づいていたけれど認めたくなくて、見えないふりをしていた。

でも、今ならそんな大嫌いな父に似ている自分を、少しだけ受け入れられる気がする。

家族ではなく「世の人」のために生きた父は今、何を想うのだろう?

最近、両親が離婚した。離婚を決めた時、父は「私の誕生日には、毎年必ず家族みんなで会おう」と言った。誕生日に家族みんなが揃ったことなんて、これまで一度もなかったのに。

私との時間を大切にしてくれなかった父は、私のことを愛していなかったわけではない。多くの人の命を救うことに、熱中していたのだ。真相は父に聞いてみなければ分からないけれど、そんな風に思えるようになった。

家族ではなく、世の人のために生きる人生。50代も半ばに差し掛かった父は今、何を想うのだろうか。

飲めないお酒を片手に、似たもの同士で、人生について語り合ってみるのも悪くないかも知れない。