私にとって母との関係はとても気を遣うもので、私が自分の言いたいことを我慢することで関係がうまくいっている気がしている。
実家にいるときは、しょっちゅう母の言動に「なんで?」と思っていた。
父親の顔を見るたびに本当に文句しか言わず、ごはんさえ一緒に食べるのを嫌がるのに、なぜ別れないのか。家では仕事の話とほかのきょうだいの習い事の話ばかりするので、私はうんざりしていた。

私は親の言うことをよく聞く子どもだったと思う

実家は県の中心部から電車で一時間以上かかる。実家の周りではどこへ行くのにも車がいる。連れていかれるところは親の意向が直接反映される。自転車で好きな場所にいける都会の友達をうらやましく思ったものだ。

自分で言うのも何だが、私は親の言うことをよく聞く子どもだったと思う。母は、教師をやりたかったが義実家の意向で主婦となった。母の仕事への情熱はそのまま私への教育に注がれたように思う。褒められるときはめちゃくちゃ褒められたが、叱られるときはめちゃくちゃ怖かったし、今も怖い。その剣幕はクラスで生徒を叱るときには最適だろうが、子どもにはいささか委縮する遠因になったかと思う。

都会で一人暮らしをするようになって、母との距離が適当になったと思う

しかし、同じ親から生まれても、私のきょうだいは本当にやんちゃで、中学を出ても高校を出ても大学に入って下宿を始めても、母は心配していた。出来が悪い分、私によりもお金をかけていた。私は親に迷惑をかけまいとしていたのに、迷惑をかけるとかかけないとか、全く考えていないきょうだいを心配するなんて、少し、というかだいぶうらやましかった。

あこがれていた都会で一人暮らしをするようになって、母との距離が適当になったと思う。祖父母が喜んでくれるので2か月に1回は顔を見せに実家に帰るが、母と会うのは、今はこれくらいの頻度でいいかな、と思う。母はよく私に自身の面影を重ねたがっていたと思う。学生のときは、それに一生懸命合わせようとしていたときもあったけれど、うまくいかなかった。私と母親は違う人間だし。同性だからと言ってすべてにおいて気が合うなんてことはあり得ない。

今までの人生の中で、母が賛成してくれてうまくいったこともある。母に反対されたけれど押し切って良かったこともある。そして、母に反対されて辞めたことの中には、辞めて後悔していることもある。

もしかしたら、私が結婚したいと思っている人は、母には良い人と思ってもらえないかもしれないし、私に子どもが生まれても、母は教育方針に口出ししてきて私ときっとけんかになると思う。いくら心配だからと言われても私の人生なのだからほっといてくれ、と思う気持ちと、母がかわいそうだから聞いてあげようかな、という気持ちが今は半々。
母は「結婚するまでは半人前」と言っていろんなことに口出ししてくるが、どうせ結婚後もいろいろと口出ししてくるに決まっている。

母にはもっと広い世界に行ってほしいし、いろんなものを知ってほしいと思う

すでに私もいい大人なので、母の助言は参考にこそするが、決断は自分ですることにしようと思う。過去のように後悔したくない。失敗したとしても、母のせいではなく、ちゃんと自分のせいにできるように。

旅行もそんなに好きではないし、同じ店にしか行かないし、集める情報が少ないばかりにネットショッピングでも失敗してばかりの母だが、母にはもっと広い世界に行ってほしいし、いろんなものを知ってほしいと思う。SNS否定派だし、ネット上の情報を信用していないから、なかなか叶わないかもしれないが。あと40年くらいは生きるだろうし、これまで以上に実り多い人生にしてほしいと願っている。