家族って何だろう?
この疑問は、私の永遠のテーマだ。
私の家族は、実に家族らしくない。幼い頃から家族仲は壊滅状態にあった。温かみなんて、一切感じたことがない。家族旅行をしたこともなければ、家族写真1枚すらない。子どものときはそれが普通だと思っていたけど、大人になってから普通でなかったということに気づく。
私の「家族」は、父と母、そして4つ歳の離れたお姉ちゃん
私は、父と母、姉の4人で暮らしている。父は仕事で、滅多に家にいることはない。母との仲は最悪だし、家庭に顧みることもなければ、興味もなさそうだ。おかげで父のことは何も知らない。父も私のことは、何も知らないだろう。朝早く出社し、深夜に帰宅するため、一緒に暮らしているはずなのに、最後に会話したのがいつなのかも覚えていないほどだ。長いことこのスタイルだったので特に何とも思わないが、本当は父からの愛を欲していたように思う。
母は、自分の考えが絶対に正しいと思っているような人だ。家の中の絶対的権力者で、反抗することは不可能。そんな母とは価値観が合わないので、大人になってから衝突が絶えなくなった。すぐに癇癪を起こすので、面倒極まりない。
姉は、母の血を受け継いでいるだけあってヒステリックだ。歳は4つしか変わらないけど、まったく気が合わない。数ヵ月前に絶交宣言されてから、これまた同じ家で生活しているのに一言も交わしていない。
実家を出たいけど、いろいろな気持ちが交差して、踏み込めずにいる
夏の終わりのある日、私が帰宅すると、母と姉が口論をしていた。あぁまたか。何も珍しいことではない。むしろ日常茶飯事だ。どうせきっかけは、些細なことに決まっている。毎度私がとばっちりを受けることも、もうお決まりだ。段々エスカレートしていき、お皿やティッシュボックスが宙を舞う。いつものパターンかと思いきや、この日は母がゆっくりと口を開いた。「家族会議をしましょう」と。いつもの様子と何か違った。何かを覚悟したような顔だった。
そして、その会議で決まったことが、家庭内ルームシェア宣言だ。お互いに干渉しない、家事は個別に行うというものだった。気の合わない私たちは、それが良いと思ったのだろう。
翌日からすぐに実行されることになった。それぞれに料理をして食べ、洗濯や掃除をした。正直私は、長くは続かないだろうなと思っていたのだが、これが今もなお続いている。
もとから家に居心地の良さを感じたことはなかったが、ますますいたくなくなってしまった。なんだかまるで、他人と同居しているようで違和感があるのだ。
私ももう25歳、いい大人だ。これを機に一人暮らしを検討したが、どうしても家を出る踏ん切りがつかずにいる。別に家族の事が好きなわけではない。しかし、家を出たら最後、もう二度と実家に帰ることがないように思うからだ。両親も「帰っておいで」なんて言わないだろうし、私からも「帰るね」なんて言わないだろう。
次に両親に会う時には、もう会話のできない状態な気がしてしまうのだ。もしそうなったら、きっと途轍もない後悔が私を襲うだろう。それを恐れてしまって、易々と家を出ることができずにいる。もう今さら家族仲が回復することもないのに、心の奥底ではどこか期待している。こうなってしまったら、結婚か職場の異動でもない限り、家を出られないだろう。きっと姉も同じ理由で家から出ない。
私が「家族」をつくる時は、自分と同じ思いは絶対にさせたくない
人にはそれぞれの性格があるし考え方も十人十色なのは承知している。しかし血が繋がっているのにここまで見事に気が合わない、不仲な家庭があるものだろうか。きっともっと複雑な家庭はこの世の中にたくさんあるわけだけで、その人たちからしたらこんなレベルで何を言ってるんだと怒られる気がする。
衣食住に困ることなく、学校も出してもらった身としては、そりゃ感謝の気持ちは大いにある。しかし、この小さな地獄から抜け出せる日は来るのだろうか。じんわりと、でも確実に心を蝕んでいくような永遠に逃れることのできない呪縛から。
本当に仲の良い家族というのは、揃って頻繁に外食をしたり、買い物に出掛けたりするそうだ。そういう話を聞くと、妬みと虚しさでアレルギー反応が起きる。まったく信じられない。私には味わったことのない感覚だ。でも、羨ましくて仕方ない。所詮、血の繋がりがあるだけの他人にはできっこない話だ。
子どもは、生まれる家も両親も選ぶことはできない。私は冷たい家庭で、育ってしまった。それは、もう変えようがないことだ。諦め半分、期待半分、せいぜい後悔を恐れて、この地獄を謳歌してやろうと思う。何度でも絶望するだろうけど。
そして、私がいつか結婚する時がやってきて、子どもを授かり家族をつくることができるとすれば、子どもにも旦那さんにも絶対に同じ思いはさせないと心に誓っている。血の繋がりがあるだけの他人なんて、呼ばせてたまるか。