「ニキビも、私の体の一部なんだよ!!!」
私の肌荒れについて、さも許されないことかのようにやたらと訴えかけてくる化粧品や、人の視線や、私のおばあちゃんに、何より自分自身に。そう言いたい。
父親譲りの体質もあり、私の顔は高校1年生の頃から常に何かしら肌荒れを起こしている。
多感な思春期を過ごした当時の私にとって、顔にポチポチとできるニキビは恋敵よりも手強い天敵だった。クラスで一番モテている子の肌は決まってツルツルで、ニキビに一生悩んでいなさそうなくらいに光って見えた。夏場の体育の授業が一番サイアクで、ただでさえ存在感のある赤ニキビの主張が、汗でドロドロになった途端にどんどん激しくなった。私の高校生活に、シーブリーズのCMみたいなキラキラした汗のドラマは絶対に生まれないとその時確信した。
学生時代、節目の写真の中の私はいつも赤ら顔だった
たまにおばあちゃんに会いにいった時、決まって大きな声で
「れおちゃん、どうしたのそのほっぺ!ひどいじゃないの、薬は使っているの?」と言われるのがとても嫌だった。
そのせいで機嫌を損ねてしまい、部屋に籠もった日もあるくらいだ。
もちろん、年頃なのでいろんな化粧品やピーリングを試した。学生向けの雑貨屋で買えるような、ひとつ100円のパックを横並びに試したこともある。
それでも、治らなかった。
結局私のニキビ顔は高校生活もずっと続き、卒業式は泣きはらしたせいで余計に赤ら顔で写真に写ってしまった。
しかも、その春は大学受験に失敗して過酷な浪人生活も待っていた。始まってみると予想以上にストレスフルな環境で、治ることなく浪人中もニキビ顔は続いた。
無事に大学が決まった1年後の春、やっぱり私は大学の正門の前で赤ら顔で写真に写っていた。浪人中は、肌のコンディションなど気にする余裕も無かったのだ。
付き合って7年目。さよならしようと躍起になった日々を経て……
華の大学生。ピークからは劣るがやっぱりふとしたタイミングでポツポツと出てくる。私はいよいよ、思春期ニキビではなく生活習慣が悪いのかと反省し始めた。一人暮らしには高い、サラダランチを食べる生活も始めてみた。
それでも、治らない。
今度はバイト代で貯めたお金で、1本1万円程する化粧水も買ってみた。これがまた悲しいほど効果は現れず、なす術もなくなってしまった。
今よりもニキビを治したくてしょうがなかった頃、よくネットでニキビのことを検索していた。解決法を調べていくうちに、世の中には星の数ほどの化粧品があることを知るようになり、私はとうとう途方に暮れてしまった。
どれも同じような「あなたらしく」「本当の自分へ」「健やかな肌」といった謳い文句でパッケージされている商品。大量のレビューから私のニキビ顔にダイレクトに効果のある商品を選ぶこと自体が、もう既に面倒だった。
私がニキビと過ごした時間は、今年で7年目になる。
ここまで来ると、私はもう、ニキビとうまく折り合いをつけるしか方法はないような気がしている。ニキビについて調べて感じたことは、ニキビといってもどうやら自分の顔の一部である、ということだった。どれほど美容の世界で邪魔者扱いされようが、美人の条件で容赦無く除外されようが、ニキビは私の肌の一部が隆起したものなのであり、ということは私の体の一部なのだ。
「私はこれでいい」 ニキビは私の一部。美肌戦争から撤退します。
自分のニキビを忌み嫌うことは、そのまま自分の体のパーツを卑下することに等しい。そう思うようになった。
いつかの私はニキビ顔の自分を罵り、恥じた。治そうとして様々なことに手をつけ、ニキビについて調べ上げ、ニキビと完全に別れることはできないことに絶望して、今がある。
もし見識のある方がこれを読めば、「いいえ、ニキビは治せます」とおっしゃるだろう。でも、私はもうこれでいい。
女性を取り巻くこの美肌戦争そのものから退場したいのだ。もう、疲れた。
確かに、美肌は魅力の一つかもしれない。モデルさんや、SNSで出てくるキラキラした人たちは決まって肌が綺麗かもしれない。でも、だからと言ってそれを知らず知らずのうちに自らに強制する必要はないはずだ。
一周回った今の私は、新出のニキビについてこう考えるようになっている。
「あら。私の体の一部がまたここに。こんにちは。」