小学生の頃、自分の身体で嫌いなパーツがいくつもあった。時間が経って解決したものもあれば、未だに解決しないものもある。

解決しないものの一つが、右目の白目部分にある黒いほくろのようなものだ。検索してみると、結膜母斑(けつまくぼはん)というらしい。

しかし、そんな名前が付いている症状だと知るのは何年も後の事だ。何が原因で出来たのか、遠い過去の記憶を引っ張りだしてきてもはっきりしない。目をよく掻いてしまう癖があったから? 目にゴミが入ったから? 遺伝? 視野に影があるとか視力や見え方には何ら影響は無いし、かかりつけの眼科でも「気にしなくていいですよ」しか言われないが、やっぱり気になる。

結膜母斑に関してしつこく聞かれる度に、どう説明しようか憂鬱だった

結膜母斑に関してしつこく聞いてくる人はいたが、小学生の私は「何かほくろみたいなんだよね~。別に痛くも痒くも何とも無いし、ちゃんと見えてるんだよね~」とゆるい返事を返すしか方法が無かった。

小学5年の時「うちのお姉ちゃん、レーザーの手術して取ったで!手術して取ったらええやん!」と同級生が言ってきたが、正直そんなお金を掛けて怖い思いするのは嫌だと思った。「うん、大人になって取ろうと思えたら受けるね。今は怖いしお金無いから良いかな」と答えたが、大人になった今も怖いし、嫌な事より好きな事にお金を使いたいから受けてない。

「それ、どうしたの?」と聞かれる度に、どう説明しようか憂鬱だった。何も聞かれなくても目が合ったり、まじまじと顔を覗き込まれたりするだけで、何か目の事で聞かれるんじゃないかとビクビクしていた。次第に無意識のうちに他人と目を合わさないようになった。

自分以外にも結膜母斑がある事を知っただけ、少しほっとした

小学6年の時、1つだけ上手く説明できる手がかりを見つけた。たまたま席が隣になった子に「白目の中のそれ、黒い点みたいなの、何?」といつものように聞かれ、またかと思いつつ例のゆるい返事を返した。すると「ああ!それ、芸能人の○○も同じようにあるわ!○○と一緒やん!!ええなぁ!」と返された。え、そうなん? 良いか悪いかは分からないが、家に帰ってテレビや雑誌で○○の映像や写真を見ると本当にあった。顔がアップになった時にちらりと見えた。

私と似たようなものがこの人にもある。この世の中に自分以外の人間にもこれ(結膜母斑)がある。その事実を知っただけでも、少しほっとした。別に○○のファンでも無いし、好きも嫌いも無いが。大体テレビにもよく出てくるし、名前を聞けば誰でも「ああ、あの人ね」と顔が思い浮かぶような人だった。

その日以降は「これ、○○も同じのあるねん」と言うと「ええ!?そうなん!」と明らかに羨ましそうな返事が返ってきた。そして、一見他人と違うコンプレックスが周りに同じような人がいなければ例外、異常とみなされ差別されるのに対して、テレビで活躍するような芸能人にいたら特例、特別とみなされるんだと思った。

自分と「違う人」に対して、厳しすぎる世の中を変えたらいいじゃない

大人になるにつれ、結膜母斑について誰も聞かなくなった。私もわざわざ説明する必要が無くなった。それだけ他人をじろじろと見る機会も時間も無いし、相手に失礼な事や嫌がる事をしないと学習していった結果だと思う。小学生の無知、無邪気さは時に人を傷つける。そこに罪は無いが、傷は残る。一体、このモヤモヤをどこにぶつけたらいいか分からない。知らなかった、まだ理解ができない年齢だったから仕方ないで済まされない事があると思う。

それに自分が痛い思いをして、身体を自然な状態から変えるのが嫌だった。何でコンプレックスの事で、他人から嫌な事を言われて傷ついている上に、大きな金銭的負担を負って、自分の身体に傷を付けて痛い思いをしないといけないんだと、ずっと疑問に思っていた。

自分と違う他人に対して、厳しすぎる世の中を変えたらいいじゃない。そうしたら、差別やコンプレックスに悩む必要も無いのに。