第一志望の大学に入学後、期待が不調に変わり気づけば休学に

3年前、大学を中退した。

そしてわたしは、その決断を誇りに思っている、と信じたい。

わたしが通っていたのは「有名大学ランキング」とか「偏差値ランキング」には必ず名が挙がる程度には"いい大学"だった。

高3の時には文字通り、泣きながら勉強をしたし、第一志望合格を掴み取ったときには、努力は報われるんだ!!と強く感じた。新しい服を買って、初めて髪の毛も染めて、メイクの練習もして、友達もできて、普通の大学1年生を楽しんでいた。

でもダメだった。中学のときに不登校を経験したわたしは、満員電車での通学、欠席3回で落単の大学では心のバランスがとれず、うまく生活ができなかった。それでも出席の関係ない授業やテスト・レポートの成績に比重を置いている授業を積極的に取り、足掻いてみた。

その結果、心身ともに体調を崩して休学まで追い込まれた。休学期間が明けた時点で、在学期間は4年目なのに総取得単位数はふつうの学生が1年生の前期で取れる程しかなかった。

「普通」ってなんだろう。絶望の中わたしがだした自由への結論

これからあと何年この苦しみの中に生きなければならないのだろうと絶望した。「大学卒業の肩書・資格」と「自由な生き方」を天秤にかけたとき、わたしは自由を選んだ。

家族には大反対され、友達もみんな、卒業した方が今後のためだと口を揃えて言った。当然のことだと思う。わたしだって卒業できるもんならしたい。生涯年収だって遥かに違うだろうし、大卒の方が可能性が広がることだって知ってる。

だけど、そういう全てのマイナスを理解した上で、やっぱりダメだと思ったんだ。「もったいない」なんて聞き飽きたけど、わたしに一番この言葉を使ったのは、他でもなくわたし自身だと思う。

本当は普通に通って、普通に授業を受けて、普通にテスト勉強やレポートに追われたかった。普通にサークル活動だってしたいし、友達とダラダラと、だけどいきいきと遊びたかった。普通に"人生の夏休み"とやらを味わいたかった。だけど、その「普通」がわたしにはとてつもなく手の届かない高い場所にあって、ずっと爪先立ちかジャンプをし続けていないと触れられない状態だった。だから、家族を説得して、ついに退学した。

もしもあの時…時々考えてしまう、あの時選ばなかったもう一つの未来

中退後、わたしは大学生のときからアルバイトでお世話になっていた学習塾でそのまま事務兼講師として働かせてもらっている。

職場の人たちはみんなとても良くしてくれるし、責任者の方はわたしの状態を理解してくれているので、体調の変化を理解してくれる。生徒たちはかわいいし、決して多くはないけれど、衣食住に困らない程度にはお給料ももらっている。高卒で体調を崩しやすいわたしにはぴったりの職場だと思う。

だけど、人間ってとても脆い生き物だから、たまに考えてしまう。「もしも、あのときもう一踏ん張りして大学生を続けていたら…」「もしあの大学をきちんと卒業してから社会人になっていたら…」もしもの話なんてお腹の足しには全くならないと頭ではわかっている。

高校生の進路相談に乗るたびに「学歴が全てではないけど、上位の大学に行けば行くほど色んな可能性が広がるよ」と伝える。本心だし、心から生徒の合格を祈ってるけど、心の片隅のさらに奥の一箇所では「この子は普通の大学生になれるんだろうなぁ」と小さく妬んでる自分もいる。最低だなと思う。

過去の決断を振り返り疑うことがあっても、いつかこの決断を誇りたい

あれだけ苦しんで、やっとのことで自由な生活を手に入れたのに、その自由な生活の中で自分自身に重石を背負わせてしまっているわたしに気づいた時、ちょっとだけ悲しくなる。

きっと誰しもが過去の決断を100%誇れる状況にはいないと思う。あの時の決断は正しかったのかな?あのときもっとああしてれば、現実とは違う今があったかもしれない…みんなそうやって過去の自分を疑いながら前を向いて生きてるんだと思う。

そして、その過去を疑う気持ちが人一倍強いわたしは、この矛盾と葛藤ともうしばらく付き合っていくと思う。

いつか胸を張って、わたしは大学を中退して心の底からよかったと思ってます!!っと大声で叫べるようになりたい。