“かわいい”とは、何なのだろう。
もちろん見た目についてだけでなく、さまざまなな意味や含蓄があるけど、人の外見のことをかわいい、かわいくないで評価している現状ってある。
それって一体何なのだろう。だって「みんなかわいい」「みんなそれぞれに魅力があるんだよ」っていうかわいい社会がある。一方で「あの子はかわいい」「かわいくない」という言葉や態度で、簡単に人を傷つけるかわいくない社会も共存しているから。
私がかわいかったら、もっと「幸せ」だったんじゃないかな…
正直、私は外見に自信がない。好きだった男の子と付き合えなかったこと、バイト先で受けた態度、高校の先生からの卒業メッセージ…考え出したらきりがないくらいに、自分の中で容姿が招いた結果や他者からのパンチが残っていて、数年経っても消えることはない。
私がかわいかったら、こんなことにはならなかったのかも。もっと幸せだったんじゃないか…そう考える。
そして、こんなに容姿で辛い思いをする私が証明としているのだから「みんなかわいい」「みんな素敵だ」なんてのは、気休めだし偽善者だ。このようにびっくりするくらいに卑屈になってしまうし、そうなるのも仕方ないのでは? と開き直ったりもする。
こういう時って、自分が1番かわいそうに思えるし、自信がなくなって、相手に自分がどう思われているか不安で、うまく話せなくなる。
社会は私にとって戦場。他者の「何気ない一言」に傷つくことがある
中学生では、クラスの女子のランク付け。そして、高校生くらいからは、暗黙の了解でかわいい子には彼氏がいるし、男子たちの立ち振る舞いで自分が、“かわいい”と“かわいくない”のどちら側にいるのかが嫌でもわかってくるようになる。
その後、私は大学に入学して、バイト代を使って美容や服にお金をかけて、少し自分に自信がつき、さらに、女子大に入学したことが功を奏し、クラスの男子たちからのカテゴライズからは免れることができた。
しかし、学校だけでなく、社会が私の戦場であり、他者からの何気ない一言が私を傷つけることには変わりないことに気付いた。私は未だに、“かわいい”に縛られている。厳密にいうと、他者からの「かわいい」と言われることにだ。
答えは出なくてもいい。でも「かわいい」って何だろう?
そもそも人の美的感覚はそれぞれで、自分で自分を認める他にこの悪循環から抜け出す方法ってないんじゃないか? とも考えるし、私もそれは分かってる。分かっていても、まだ抜け出せない。
かわいいってなんだろう? この問いの答えは、出なくてもいい。ただ私は私らしく自分で自分の“かわいい”を見つけだしたい。誰にも邪魔されない、自分だけのかわいいを頼りたい。