エプロンをつけるのは女性だけですか。
女性は家で家事と子育てをして、男性は家族を養うために家の外で働く、そんな男女役割分業的な考え方は昔の話でしょうか。
男性はお金を稼ぐ、女性はお金を稼いで帰ってくる男性、そしてお腹を空かせて待っている子どもたちのために夕ご飯を作る、このテレビのCMでよく見る家族のかたちに違和感を覚える人が、今の日本に何人いるでしょうか。
男と女である前に同じ人間であり「みな平等」
最近は「男女平等社会」という言葉が流行っているみたいだが、かつての男尊女卑から何も変わっていないように感じる。なぜだろうか。
日本の少子化問題の話になった時、日本のある政治家が「最低3人は子どもを生んでいただきたい。」と言った。ありえない。
リーダーがそう考えているのなら、この国はいつまでたっても変わらないまま。だから私は変えたい。権威はないけれど、言葉を放つことはできる。
女性と男性、体の作りは違うけれど、男と女である前に、同じ人間なのだから、どちらが優位だとか、どちらが劣位だとか、そんなものはない。お互いが尊重し合えれば「男女平等の社会」こんな言葉はいらない。「みな平等」なのだから。
当たり前に作られているお弁当に食事。当時は気づかなかった。
3年前、当時は気づかなかった違和感に、私は今、気づくことができた。
私は父、母、私、妹、妹、弟、妹の6人家族だ。父も母も働いている。
私の家族はそれぞれ朝家を出る時間と夜家に帰ってくる時間がそれぞれ違う。私の兄弟は運動部に入っているから朝練と夕練があり、塾もあるからだ。
朝の出発ラッシュは妹から始まる。妹は朝の5時に起きて6時には家を出る。弟は朝の5時30分に起きて6時30分に家を出る。私は朝6時に起きて6時50分に家を出る。母が7時30分頃に家を出ると父は後に続く。
私は考えたことがなかった。毎日、家を出る時にはできているお弁当、当たり前のように作ってある朝ごはん。きれいな姿で置いてある大量の部活動着。母は一体何時に起きているのだろう。何時に寝ているのだろう…
母は両手に大量の買い物袋を重たげに抱えて、額には汗をかいて慌てげに帰ってくる。
向かった先はキッチン。野菜を切る音、お肉を焼く音に、私の学校での愚痴が割り込む。
母は妹の塾の時間に間に合うように、駆け足で夕ご飯を作っているのに、私の愚痴まで聞いて…。
妹が塾に行き、一息つくのかと思ったら、弟、父と続々と帰ってくる。母は自分の夕ご飯を食べる間も無く、また食事の支度へ。ひと段落つくと母は言う、「色々してたらお腹一杯になった。」と。
子どものあとは父のお世話係。家事は深夜まで続く。
父は、仕事から帰ってくると「ご飯まだ?」と言う。そしてリビングルームに座ると今度は「ビールとって。」と言う。ビールを空けてお気に入りのテレビ番組をつけると、母は黙って夕ご飯の支度をして父のところに持って行く。母がお箸を渡し忘れると「お箸とって。」と言う。父は「いただきます。」と言って黙々と食べ、食事を終えるとしばらくリビングルームでくつろいだ後、2階の部屋へと上がる。残ったのはビールの空き缶と食べかすの残った食器だけだった。
子どもの私でも、「お手伝い」をするのに、まるで母は父のお世話がかかりだなと思った。
そして私が寝る頃、ガタガタと騒がしい音がする。深夜2時。母が洗濯を干していた。一体母はいつ休んでいるのだろう。
男性も女性も見方を変えて。大切なのは感謝と思いやり。
私は思った。男女平等社会実現のために、女性の社会進出を目指す?女性の仕事が増えただけじゃないか。
男性の皆さん、日本の現状に疑問を抱き、変えようと思っている人たちが行っている、男女平等を掲げた運動を、男性嫌悪だと思わないで。
女性の皆さん、子育てをしている男性をイクメンなんて言わないで。平日の昼間に公園でベビーカーを押している男性を冷たい目で見ないで。
男女平等社会は皆が平等に生きていくためにある。男は女のために、女は男のためになんて思わなくていい。
女性だから〇〇、男性だから〇〇、という考え方はもう古い。
男性と女性、性別なんて関係ない。感謝の気持ちと思いやる気持ちの相互作用で世の中は変わるのです。