ねぇお母さん、一度母になってしまった人間は、一生母でしかいられないのでしょうか。
中学生までの私は、あなたと同じ人生を歩む将来を、当然のように思い描いていました。大学卒業、就職、寿退社、出産、専業主婦。それが、どれだけあなたの“本当にしたいこと”を犠牲にして成り立っていたのかも知らずに、私はあなたになるものだと、無邪気に信じて疑いませんでした。
私は、あなたを「母」にしてしまった自分が憎くて仕方がない
あなたが、“本当にしたいこと”をできなかったのは「モラハラ気質の男性との結婚で始まったことではなかった」と、私の父親だった人と離婚する意思を伝えてくれた時、教えてくれましたね。ずっと前から、親という名の他人によって、兄よりも家事の手伝いをさせられ、殴られ、進路を勝手に決められ、敷かれたレールに乗るほかなかったあなた。その反動から、私たちには好きなことをさせてくれました。厳しい部分も多いけれど、あなたが受けてきたような理不尽は与えないようにしてくれました。
感謝したいと思っています。育ててきてくれたことそれ自体も、自分がされて嫌だったことを私たちにしないように必死に気をつけてくれたことも。
でも、私は純粋に「ありがとう」と言えません。
私は、あなたを母にしてしまった自分が憎くて仕方がない。私を産んで母になってしまったあなたが、哀れで仕方がない。
もとからあなたが苦しんできた女ゆえの理不尽が、子どもという責任を伴う母になることで、増幅したように思えてならないのです。その理不尽を、同じく女である自分の中に同期させて苦しみ悶える度に、私さえ産まれなければ、あなたはそれを味わわなくて済んだのではないかと考えてしまうのです。
もう二度と、母になる前の「あなた」には戻れないのでしょうか…
あなたは、強い人です。夫だった人に交友関係を制限されたせいで、一人も友人のいない孤独な土地で、私たちの為にたった一人で闘ってくれました。私は、あなたを誇りに思っています。
実際、自由な生活を勝ち取った後のあなたは、確かに疲弊していたけれど、生き生きしていました。機嫌を損ねないための余分なおかずを作らずに済むようになって、朝晩しか顔を合わせずに済むはずの人が一日中家にいる週末を恐れることもなくなって、本当に幸せそうでした。
それでもあなたは、まだ“あなた”に戻れません。一度は見てみたいと話すオーロラも、やりたかった仕事も、私たち子どもに“本当にしたいこと”をさせてあげる母の責務を果たすことで、忘れようとしています。
「お母さんはお母さんのやりたいことをやったらいいんだよ」と、自分の小遣い程度しか稼げない身分で伝えたこともありました。あなたは「あんたたちが好きに生きているならそれでいい」と言いました。あなたはもう二度と、母になる前の“あなた”には戻れないのでしょうか。
「本当に離婚があんたたちのためになったのか分からない」と、何度も何度もあなたの口から聞きました。その度に私は「あれは正しい選択だったよ」と、自信を持って伝えます。ここに嘘はありません。私たちは離婚を望んでいたし、今私たちはあの頃よりずっと幸せです。
もし私が母になったら、その後も「私」であり続けられる自信がない
でも、やっぱり考えてしまいます。じゃあ離婚の前は? 結婚や出産は、“正しい選択”だった? 結婚してしまったとしても、出産さえしていなければ、夫だった人を早々と見限って自立して、昔から抑えつけられていた“あなた”を取り戻すチャンスを手に入れられたんじゃないか? あなたは強い人だから、きっとできたはずです。でも、もしその強さすら母になったからこそ得たものだったなら、私にはもうそれを純粋に尊敬することはできません。
分かっています。母になる決断をしたのも“あなた”です。それを今さら責めたってどうしようもありません。私は、かつてあなたの親や夫だった人がやってきたように、あなたに何かを押し付けたり、あなたの人生を否定したりしたくありません。
でも私は、あなたしか母を知りません。私には、母になった後も“私”であり続ける自信がありません。だからせめて、母にならない人生を選ぶことで、あなたに同期するこの苦しさから逃げさせてください。私は、あなたが私たちに託した“私”でいられる人生を送るために、あなたが“あなた”のままでいられたかもしれなかった人生を選びます。私は絶対に、あなたにはならない。