狂人化していった「メディア」の闇、好きなものに素直になれない空間

最近、輪をかけるようにメディアの有り様が狂人になってる気がする。
私が特に思うのは、TwitterとかInstagramなどのSNSのことで。それらは、今までテレビや新聞や雑誌の主流なメディアから流れてきた情報に対して、比較的自由に思うことを吐く空間だった認識があった。
そんな空間だったはずが、今じゃ“比較的自由”の枠から脱走していった。ほんとに何でもかんでも吐き出せちゃう空間になって、治安が悪いスラム街になってるのではないか。
そのような空間になっても、未だ今まで通り自分の日常を嘆いたり、愚痴ったりする空間も整っている。いや、整っているというわけではなく、平然を装ってスラム街と共存せざるを得ないみたいな状態になっているのかも。
私が思う、スラム街の具体例がある。この前見ていた「ドラマの登場人物の1人があまりにも不憫で、まるでその周りの登場人物たちが虐めている構図になっていないか?」という内容。確かに虐めの案件は、実際の社会で問題になっているから、たとえドラマの世界でもセンシティブに受け取られやすい。
そういった不穏な呟きがばっとすぐに広がっていた印象を持ったし、しまいにはネタがないからなのか1個の呟きに留まらず、まとめサイトのような所まで大々的に取り上げていた。私は、そのドラマ自体が楽しみであったし、今も毎週のご褒美として視聴している。けれど、さっきのようなドラマに対してのアンチコメントが、楽しみにしている私の目に容赦なく入ってくる。知りたくもないのに、情報が邪魔をしてくることが増えた。
このコロナ禍の渦に巻き込まれているから、みんな情報を冷静に自分自身で裁いたり、とりあえず渦から脱したいなという思いで呟いたり、気づいたらSNSという空間であれ、周りの気持ちをチクッとさせてる。「その状況は、コロナのせいだ」と仕方ないで済まそうとしてしまってるのではないだろうか。
私たちにとって比較的自由で平穏なSNS空間の裏に、スラム街という位置関係がいつの間にか、すぐそこに闇が隣り合わせになってる。
さっき挙げた具体例のように、自分の好きなものをまっすぐに好きで居続けることが難しくなったと思う。だってSNSを開けば、闇が立ち込めているから。人ではないのに、SNSの中で狂人として大きく存在が膨れていっている闇。
結局、その狂人になった闇は、私たち人間が作ってしまったもの。
では、この闇も人間によって切り落とせるのではないかと思いたいけれど、なかなか蔓延したものはコロナのようにそう簡単には息を潜めないんだろうな。
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