<今日、街中で変な男の人に付きまとわれた。ジュエリーショップに逃げ込んだけど店の中まで入ってきて店員さんに助けを求めて暫く一緒にいてもらったらいつの間にか居なくなっていて......何もなくてよかったけどいつまでこんな怖い思いをしなくちゃいけないんだろう>

数日前の出来事の呟きがTwitterの下書きに入っている。
結局呟けなかった言葉だ。

私は今タレント活動をしていてTwitterのフォロワーが2.7万人いる。たまにインフルエンサーと言われる事もあるくらいの数字だ。

フォロワーの9割は男性でいつもコメントをくれるのも男性のファンがほとんどだった。グラビアやアイドル活動をやっているわけではないけれど、コスプレのような事をしてメディアにでているので男性の支持が多いのも納得していた。

私にも原因があると責めてくる返信が付くかもと思って怖くなった

Twitterでは日々のどうでもいい事を呟いていたけれど、上の呟きは公開することができなかった。付きまとわれた時に感じた怖さや、女性であるからターゲットにされたという怒りを衝動的に書き込んだけれど、「ツイートする」のボタンを押せなかった。

なぜなら私のファンは男性が多いから、反応を想像してみても心配してくれる声が大半だと思う。けれど「○○ちゃんが可愛いからだよ」「隙があったんじゃないのか」などの私にも原因があると責めてくる返信が付くかもしれないと思って怖くなってしまった。

私が短めのスカートを履いて出かけたのがいけないのか、顔が目立つのがいけないのか、それを考える事は付きまとわれた事と同等に気分を悪くさせた。

匿名のネットの世界では好き勝手に言われてしまうことも、被害にあった方が責められることもある。悔しいけれどそれが事実なのだ。

その後に続く呟きとして<こんなことがあるからフェミニズム系の本を読み漁って男性に対する不信感や敵対心を強めてしまう>という言葉も用意していたけれど、これも呟かなかった。嫌なことをされた直後で世の中の男性全員が敵のように思えてしまって、男を嫌いになる為の道具としてフェミニズムという言葉を使おうとしていた。

声をあげてもいいんだとハッとさせられた

少し前からフェミニズム関連の小説や本を読むようになった。

仕事がない売れてないタレントは苦手な下ネタにもヘラヘラ笑って、クライアントからの打ち合わせと称した2人きりのご飯にもいかなければならなくて、家に帰って自己嫌悪になるけどそれでも仕方ないと思っていた。そんな時に読んだフェミニズムの本には辛い思いをした仲間の悲痛な叫びが書かれていて、声をあげてもいいんだとハッとさせられた。その本がお守りのような存在になっていた。

でも、弱った時や被害にあった後に見聞きするフェミニズムの思想は劇薬だと思った。
フェミニズムは男女の性差別そのものの撤廃を目指すものであるはずなのに、本に書いてある女性が受けてきた差別を自分を重ねてしまい、嫌な事をされるたび男性を一括りにして断罪してやろうという気になってしまう。男性というだけで”嫌うべき存在”と認識してしまいそうになることもあった。

そして、勝手に敵対された男性もフェミニズムという言葉を疎ましいものと捉えてしまうかもしれないとも思った。

フランクにフェミニズムという言葉が使えるような世界になればいい

フェミニズムは男女の敵対構造を深めるものではなくて、「性差別から解放されて、女も男も自由に生きる」。そんなシンプルなことなのに、それを伝えようと思うと難しくなる。宗教や政治の話と同様に、言及しづらい話題であるように感じる。

私自身も間違えないようにちゃんと勉強しなければいけないと思ったし、もっとフランクにフェミニズムという言葉が使えるような世界になればいいと思う。仕事柄男性からの応援が多い女性タレントやアイドルでも、男性社会で働いている女性でも、男性と敵対したいわけじゃなくて「自分らしく」いるために声をあげられるような社会になってほしい。