「お前ってでかいよな。なんかどーんって感じ。」

誰に言われたのかも、どんな場面で言われたのかも覚えていない。ただ、その言葉だけがずっと頭の隅っこにこびりついている。

私は身長が高い。高いといっても皆より頭一個分高い程ではなく、だいたい学年でいうと2.3番目くらいだった。平均よりも高いというくらい。体型は平均的でどちらかと言えば、小胸な分細めだねと言われる方が多い。なんで私は“でかい”って思われるんだろうか。顔のパーツや動きが大きいことも関係しているのかもしれない。

ヒールのある靴は誰にも合わない日に一人で街へ買い物へ行く時だけ

私はこの“でかい”と言われることがとても嫌だった。服を選ぶにも膨張色やフワッとした素材は避けてきた。靴は勿論フラットなものを選んだ。男性よりも背が高くなってしまうのが恥ずかしかった。たまにヒールのある靴を履いては鏡に映る自分を見て後悔して、早く帰りたいなと思っていた。ヒールのある靴は誰にも合わない日に一人で街へ買い物へ行く時だけと決めていた。本当は履きたかったのだ。今となれば”女は男よりも小さくなくてはいけない”という思考は古いなぁと笑えるのに。

大学卒業間近の頃、友人と待ち合わせをする前に街を歩いていると前から高いヒールを履いた女性が歩いてきた。その女性は元々高身長のようで、ヒールを履くことでさらに高身長に思えた。肩幅もしっかりある方だった。確かに見る人が見れば“でかい”と思うかもしれない。でも私にはその女性はとても素敵に魅力的に思えた。私だけでなく、他の通行人もその女性に視線を奪われているように見えた。ドラマのワンシーンの様にスローモーションな時間が流れた。その女性は「別に他の人の視線なんて気にしてませんわ。」と言わんばかりにピシッと伸びた姿勢で堂々と私の横を過ぎ去っていった。女性の残り香を感じながら、私は疑問に思った。

“私はなぜ、他人の視線で私のスタイルを選んでるの?”

今では他人の視線で自分のスタイルを選ぶことはなくなった

そこからヒールを履き始めた。初めの頃は鏡の前に立つと“でかい”と自分でも思った。O脚が目立つし、顔とのバランスが合わない気もした。それでも履き続けた。その結果、まず服の選択肢が広がった。私はカジュアルな服装よりも、上品キレイめな服装が似合うと気づいた。本当は今までも着てみたかったけれど、フラットなスニーカーでは合わないから避けてきたのだ。周りの友人達も初めは「スカート珍しいね」や「なんかイメージと違う」なんてことを言っていた(きっと「変」と思ったことだろう)。

しかし、いつの間にか何も言われなくなった。今までの私なら、周りに少しでも「変」というニュアンスの事を言われたらスタイルを変えていたと思う。それでも変えなかったのは、本当に自分がしたいスタイルが見えたからだと思う。今では他人の視線で自分のスタイルを選ぶことはなくなった。スタイルのイメージなんて、自分自身の視線も周りの視線も結局、“思い込み”なんじゃないかと思った。

自分の“視線”で選んだ自分の好きなスタイルを突き通す

それでも未だに低身長の華奢な女性をみると、コンプレックスを感じてしまう。守ってあげたくなるような小動物のような可愛らしさ。どう頑張っても私からは発せられない。そのような女性に会うと、つい一歩後ろに下がってしまいそうになる。それはやっぱり私が“でかい”からだと思う。

ただ、“でかい”女にも良いところは沢山ある。目立つから印象に残って、すぐに覚えてもらえる。女性らしい力強さを感じさせられる。これはほんの一部。今まで気になってばかりだった、他人の“視線”を次はこのコンプレックスを通して前向きに考えれるようになった。そして何より大切なのは、他人の“視線”ではなく、自分の“視線”で選んだ自分の好きなスタイルを突き通して、背筋を伸ばして歩く事かなと思う。

私はこれからも“でかい”女でいよう。