4月。新生活が始まり、ワクワクドキドキの時期。寒い季節が終わって桜が咲き、外に出るのが楽しくなってくる季節。

そんな4月に私が勤めている会社では、ある残酷な行為が行われる。その行為とは、4月に入社した女性新入社員が、“あたり”か“はずれ”かのジャッジだ。“あたり”か“はずれ”かは顔、すなわち可愛い子が多ければ“あたり”の年、ブスが多ければ“はずれ”の年になる。私が入社した年はというと、“はずれ”の年。すなわちブスが多い年といわれた。

無責任な「はずれ」という烙印、私の自己肯定感を奈落の底まで下げた

そのジャッジは、新入社員の研修を担当した社員たちによって、瞬く間に広がる。廊下や食堂、作業場などで、もちろん当該の新入社員達の耳には入らないように噂をするのだが、噂というものは本人達の耳に入ってしまうものだ。

「昨年はあたりの年だったのに…」「今年はまじで可愛い子いない」これらの言葉は、私が新入社員だったころに聞いた言葉だ。「今年の新入社員は全然可愛くなくて、あれならホッチキスの方が可愛いわ…」なんて、もはや生き物ではないものと比べられたこともある。

私の会社は製造業ということもあり、男性の従業員の割合が8~9割を占める。「男社会だから、どうしても女の子のジャッジは顔に重きを置いてしまうんだよ」と、仲のいい男性先輩社員は私に言った。

自分の顔に自信を持っていたわけではないし、ブスという自覚はあった。でも、改めて他人から「ブス」という烙印を押されると、やっぱり悲しい。そして、その他人の無責任な烙印は、私の自己肯定感を奈落の底まで押し下げていく。私が喋ったこともない、名前も知らない人達から勝手に注目され「はずれ」と言われる屈辱。気にしないという選択肢が一番賢いのだろうが、私にはそれが出来ず、何回か枕を濡らした。

仕事でミスをして注意されれば「ああ、私が『あたり』だったらここまで怒られなかったんだろうな」「今は優しく仕事を教えてくれているあの先輩も、実は私のことを『はずれ』だと思っていて、違う部署にいる『あたり』の子が後輩になったほうが嬉しかったんだろうな」なんて考えるようになった。

それからは、周りから「あたり」と言われるように可愛くなろうと、メイク動画や整形情報を片っ端から調べたり、逆にブスを受け入れた上でどうやって生きていこうかと考えたり、著名人が書いたいわゆる“ブス本(自分がブスであることを認識して、気遣いや勉強など他の要素を磨いてどうやって美人に打ち勝っていくか書いた本)”を読み漁った。

「可愛い」の基準は人によって違う。だから、外見でジャッジするな!

そんな日が続いたある日、同期同士での飲み会があった。気になる男の子がいたのだが、私は“はずれ”なので自分からアプローチはできなかった。ある女の子の同期が「咲良はめっちゃネガティブで、この前もブス本買っていたんだよ~」とその気になる同期に言うと、その同期が「ネガティブだなあ…ていうかブスじゃないし。可愛い顔をしているのに」と言ったのだった。

え…今、○○君私のこと「可愛い」って言った…? 入社してから「はずれ」や「ブス」しか聞いてこなかった私は、久しぶり、いや人生初めてレベルの男性からの「可愛い」しかも、気になる同期からの言葉ということで、心が躍らざるを得なかった。その同期の○○君は、私の彼氏になり、付き合う前も付き合った当初も、そして付き合って数年が経過した今も私に「可愛い」という言葉を向けてくれる。「俺にはもったいない」と言いながら抱きしめてくれるし、顔を見つめて「可愛いなぁ」と言いながらキスをしてくれる。「俺にとって咲良は大当たりだよ」という言葉も添えて。

彼氏のおかげで自己肯定感を超回復させた私は、“可愛い”の基準は人によって様々だということに気づいた。手垢のついた気づきではあるが、こういうことは身をもって経験してみないと分からない。私の彼氏は、私の小さい目も短くて下向きのまつ毛も、低い鼻も全部全部「可愛い」と言ってくれる。とっても相性のいい今の彼氏と出会って「彼に好かれるためにあえてこんな顔に生まれてきたのではないか」と思えるほどに。

世間一般にウケる“可愛い”なんて、いらないのだ。自分が愛する人たちから「可愛い」と言ってもらえ、そのような人たちに囲まれて生きていければ、日本一の、いや世界一の幸せ者なのではないか。自分の“可愛い”の基準だけで、女性を判断するような人の言葉に傷つく必要はない。

女性が「顔だけ」でジャッジされる社会は、もう終わりにしたい!

そもそも顔なんて人の魅力を決定づける要因の一つでしかないのに、顔だけを見てその人を“あたり”か“はずれ”をジャッジするなんて、相当失礼な話である。

もし、他人から「はずれ」「ブス」と言われて私の様に苦しんでいる人がいたら、私はそのような人に伝えたい。あなたは悪くないし、可愛い。そして絶対に幸せになれる。

残念なことに、日本は社会で意思決定をする立場にある人々がほぼ男性、すなわち男社会であるので、女性のジャッジは顔で行われてしまうことが男性よりも多い。そのジャッジは、顔採用といわれる就活時にも行われているような人生に関わるようなものであることもあるし、私のように自己肯定感を下げてしまう要因にもなる。

女性がこのようなメディアで声を上げなければ、簡単に見過ごされてしまう問題だ。だから、私は声を上げていく。女性が顔だけでジャッジされる社会は、もう終わりにしたい。

最後に、私たち同期のことを「はずれ」と言った人たちに伝えたい。「そんな無責任なこと言って、他人の自己肯定感を下げているあんたらの方がよっぽどはずれだよ!ばーか!!!!」