「知らないほうが良かった」と、生きていると何度も思うことがある。そういった話は決まって、自分にとって都合が悪かったり、あるいは傷付いてしまったりすることが多いのではないだろうか。

人はみな傷付きたくないから、あらゆるところにそれぞれの予防線を張っているんだと思う。でも、その予防線が他者によって、いとも簡単に踏み越えられてしまうことが多いと最近、メディアを見てその危機感を常日頃から感じていた。

近頃「一体、誰が幸せになるんだろう」と思うニュースが多い…

近頃、芸能人の浮気や不倫のニュースを目にすることが多い。それらを避けることは、今のネット社会ではとても難しくて、テレビやニュースアプリだけではなく、SNSでも一瞬のうちに情報がまわってきてしまうから嫌でも目に付いてしまう。

そのニュースの当事者である有名人の名前がトレンド入りし、その人に向けての意見や批判を通り越した汚い言葉の数々を画面を通して沢山見てきた。そういうものを見ていると、私はいつも思うことがある。

「このニュースを見て、一体、誰が幸せになるんだろう」と。
もちろん、不貞を犯したことは許されることではない。それは、本人がこれからずっと背負っていくものだと思っている。

しかし、その人の家族はニュースを見てどう感じるのだろう。当事者に対しても、いくら不貞を犯したとはいえ限度を超えた、心を傷付けられるようなひどい言葉を浴びせられるのは、仕方がないことなのだろうか? と私はいつも深く考えさせられている。

ニュースを見て、多くの「罵詈雑言」が溢れると悲しい気持ちになる

こういったニュースを見かけると、当事者の家族の多くが「知らなかった」と答えているような気がする。そう、知らなかったのだ。そこは、本当に知らなかったのか、知っていたけど目を逸らしていたのか、実はもうどこかの探偵か弁護士に頼んで調査をされていたのか、本当のところは私には分からない。

けれど「知らなかった」と言っている以上、マスコミがその人に目を光らせていなければ、メディアがこのスキャンダルを取り上げることがなければ、この話はもしかしたら家族にとって、知らなかった話で終わっていたのかもしれない。

もし知っていた場合であっても、世の中に出すことなく夫婦二人の問題として静かに終わっていたのかもしれない。

しかし、メディアに取り上げられるとそうとはいかず、夫婦のプライベートがさらけ出され、真偽のほどは分からない情報が世の中に流れていく。それをまた沢山の人が目にして、罵詈雑言の数々が溢れていくのを見ると、私はとても悲しくなるのだ。

もっと「幸せな気持ち」になるニュースが増えたらいいなと思う

私はメディアに関わる仕事は、どれも素敵だと思っている。だからこそ、もっと幸せな気持ちになるニュースが増えたらいいなと思うのだ。もちろん、そういったニュースばかりではないことは理解しているけれど、それでも幸せだったはずの誰かが涙を流して苦しい思いをしたり、人と人が傷付け合う言葉達が飛び交うようなものは、少しでもないほうがいいなと私は思う。

このネット社会に生きる私達が、必ず一日に一度は目にするはずのメディアを上手に取り扱うのは、発信する側にも受け取る側にもとても難しいことではある。

しかし、どんなに有名な人でもプライバシーには干渉しないことや、自分に必要な情報を取捨選択するなど、それぞれが意識をしてお互いに利益があり、そして幸せな気持ちになれるような環境を作っていきたい。たとえ綺麗事だと思われても、それが本来のメディアの力であると私は信じている。