昨日、3年ぶりに高校の同級生と、後輩と会ってきた。
「オシャレなダイニングバーの壁を借りて、作品展を開催しているので、ぜひ来てください!」とSNSに投稿したら「土曜日あいてるよー」と「土曜日行きます!」という連絡がきて、時間が被っていた。
2人に面識は無いかもしれないが高校の同級生と後輩なので、同じ席になってもきっと楽しめるだろうと思い、「明日、同期/後輩も来るんだけど、3人で一緒にランチしよう」とお互いに連絡を送った。

私達の卒業した高校は京都の公立高校だ。
美術工芸の専門的な高校で、80年前に立てられた、もとは小学校だった古くて小さな校舎は木の板張りで、裏に鴨川が流れ、グラウンドは斜めにとらないと50m走ができないほど小さな中庭みたいなところ。制服はなくて、私服で登校する。1学年は93人しかいない。3学年で280人ほどの小さな高校だ。

野球部もサッカー部もない。だいたい男子の人数も全体の1割しかいない。逆にあるのは、美術・工芸・デザインといった専門的な8分野の専攻で、私は漆工芸を2年間。
その日来た同期の友達は洋画(油絵)を、後輩は日本画を専攻して卒業した。

奇抜な個性ことが武器。尊くて楽しかった高校生活

誰に話しても「変わった高校だね」「そんな所あるんや!」という反応を貰うが、私たちにとっては、そこで過ごした3年間が普通。
自由で、お互いの奇抜な個性こそが武器。それを主張し合うことで新しい考えや発想が浮かび、また新たなアートを生み出して、そんな3年間は外から見たら異端なのかもしれないが、私たちにとっては普通の日常で、しかし尊くて楽しくてかけがえのない青春時代だった。

きのう、土曜日。
面識がない私の同期と後輩は、想像していたとおり、直ぐにうちとけて盛り上がり、ランチだけでは飽き足らず、その後カフェでケーキセットを頼み、結局晩御飯に居酒屋へ行き焼き鳥をほおばり、話は尽きることなく「今日はありがとう!楽しかったわ~!」と言ってわかれていった。2人は連絡先を交換して「また遊ぼうよ!」と話しあいながら、総武線に乗り込んでいった。

私は今26歳で、そんな美術工芸高校から卒業して8年経つ。
やはりアートが好きだったので、大阪の4年生芸大に進学し、卒業後関西の有名劇団に衣装さんとして、就職した。
ずっとこの道で来ると、そんな友達しかいないので、逆に世間の「普通」や「一般的」な人達や考え方に対して距離感があるなとは理解している。

社会人2年目、上京し同棲。夢を追う暮らしは楽しかったけれど

大学3年生から付き合っていた元彼は、理数系の勉強をしていて、飛行機で2時間半かかる地に住んでいた。
色んな縁があって、ひとつ年上で遠い田舎町の国立大学に通う人と付き合うことになった。2年半の遠距離恋愛をした後、彼の仕事に合わせて引越し、2年間同棲した。
結婚するんかなーと思っていたけど、無理だった。

当時、古着屋でアルバイトしながら舞台の大道具や衣装を制作する私は、半ば強引に彼の家に転がり込んでいた。就職した有名劇団が肌に合わず、だから辞めたいと主張したが親との考え方も合わず、精神的にまいってしまった私は社会人2年目、逃げるようにして彼の家を頼りに上京したのだ。

本当は美術だけで、アートだけで仕事にしたいけど、それもなかなか厳しく、でも大好きな古着に囲まれてのアルバイトは楽しかったし、同じように夢を追いながら働く仲間もいて、とても充実していた。

今でも思いだすと腹立たしい、軽く投げかけられた彼からの一言

問題はと言うと、賃金の低さと、不規則な時間だった。アルバイトは日中なので、舞台の仕事があれば深夜に設計図を書いて作業したり、ミシンを走らせたりしていた。
彼は1度寝たら全然起きない人だったので良かったが、こんなに働いてもこの程度しか貰えないのかとか、ひどい言葉をかけてくる舞台監督さんの愚痴だったり、ストレスを感じたり疲れている私を見て、ある日こういった。

「もう普通の仕事をすれば?」

私はそれが衝撃的で、今思い出してもはらわたが煮えくりかえるほど腹立たしい。

「普通の仕事ってなんなん?」

「事務とか!OLやりなよ!休みも土日でかぶるし!定時で帰れるでしょ?給料も安定するし!普通の仕事の方が楽だよ!」

1ミクロンの悪気もなさそうだった。
本当に名案だと思ってるみたいだった。

でも私にとって、大切で尊くてかけがえのない武器を、7年間も、親に学費や画材費を支払ってもらいながら、それだけを研ぎすまし続けた武器を、大好きなアートを、彼は、彼の普通に則して「辞めれば?」と軽く、本当に軽く言うのだった。

彼が求める「普通」の中に私が大切にしているものは何もない

そのような事が時たまあった。
私が美術セットをデザインした舞台を見に来て「あれ、なにがすごいの?どういうこと?意味がわからなくて…」と大真面目に聞いてくるのだ。人の生と死をコンテンポラリー的に表現した舞台だった。
私はその美術のために大道具を20日間も手作業で制作しトラックで運び一人で立てたのに。

彼はやたら私を友達に紹介した。
飲み会に連れて行ったり、行列のラーメンを数十分待って食べに行ったり、彼の友達が宅飲みしにやってくるので部屋を掃除しお菓子を揃え、愛想良く合わせたりした。

私は彼のいう「普通」が何ひとつ理解できなかったし、彼も私の「普通」が理解できなかった。

「普通に結婚して、普通に俺が働いて、普通に家庭に入ってもらって子育てして欲しい」と言われ、ゾッとした。
彼の理想の家庭に、私の夢や努力や大事にしてきたものなんて、ひとつもなかった。

そうして別れた。別れてよかった。
結局今、コロナ禍で失業した私は、武器を活かして、マスク屋さんをしている。
絵を展示したりして、生活している。

私の「普通」は絶対曲げない。武器を収める器は自分で手に入れる

私は所謂、「普通」とか「一般的」とか言う概念では「異端」なことをずっとしてる。それを分かってる。でもね、逆に言えば、彼の言葉を借りれば、それが私の「普通」なのだ。

それが私の普通で、日常で、友達と語り合える青春であり、これからも大切にしていきたい個性で、最大の武器なのだ。
別の、量産型のシンプルな鞘の方が軽くてかっこいいから!といって収めようとしたって、入るわけがない。私は重くてもデカくてみんなと違っても、私だけの武器を収める器がいい。

「普通」という言葉で多数派なフリをした個人的な意見で、私の覚悟や大好きを簡単に曲げられると思ってんのか。
わたしの「普通」を軽んじて、みくだして、奪うやつより、私は私の「普通」を共有して面白がって、応援してくれる人と過ごしたいわ。