いまのからだを愛せればいい。このエッセイを書くにあたり、主催者からのご案内として記載されていたその一文を見て、ああ、私は自分の体を愛せているな、と思った。それでも言いたいことも、こうしたいこともたくさんあるのだ。
自分の体は好きだ。身長の割に肩幅が広くても、靴が見つからないくらい足が小さくても、冷えピタが貼れないくらい額が小さく、狭くても、好きなのだ。
でも、もっとこうしたい、そんな感情は掃いて捨てるほどある。
いや、掃いて捨てても全くもって間に合わないほどにある。
華奢な女の子になりたい。
額がまあるくて可愛い女の子になりたい。
娘を出産した時に出来たしわしわの妊娠線だって、娘がお腹で頑張って大きくなった証だといとおしく思いながらも、本当に正直に言ったら無い方がいい。
今だから言えるが、妊娠線が出来た、齢二十五の時の私は、もう水着など着れないのかと絶望したものであった。
話はやや逸れたが、自分の体をきちんと愛せている私でも街ゆく人々の視線は気になる。流石に「みんな私のことを見ているわ」という自意識過剰さはないが、妙に此方を見てくる人は居るもので、そういう人に出くわそうものなら、そんなに私はデブか?今日のメイク濃かった?などと心配になるものなのである。
過ぎ去ればすぐに忘れるポジティブな人間に育ててくれた両親には感謝しかないが、街中での視線を感じてこのような気持ちになるたびに、そもそも誰のためのメイクなのか、ファッションなのか、一瞬頭によぎるのである。
夫に可愛いと思われたいのは、夫のため?自分のため?
私には十二歳と数か月年齢の離れた夫がいる。それはもう大好きで大好きで堪らない。その夫に、メイクが上手くいった喜びを共感したくて、「今日の私、ちょっと可愛くない?メイクいいかんじじゃない?」と聞きに行った日には、夫は大抵、じっくり私の顔を見て唸りながらこういうのだ。
「眉毛の形、変じゃね?」
はあ。私も自分で、非常に質の悪い女だとわかっているのだ、わかっているけど、なんて女心がわからないやつなのだろうと思う。
そしてここで先ほどと同じ疑問が湧き上がるのだ。「いったい、誰のためのメイクなの?」
結論を先んじて述べてしまえば、「私のためのメイクで、私のためのファッション」である。
ただ、そうして頭でわかっていても、私は夫に可愛いと思われるメイクをしたいし、夫に可愛いと思われる服を着たいのだ。もうそれって私のためじゃないじゃん、と思いながらも、夫から好かれることは私のためということなのか…?と、永遠と終わらない問いかけがぐるぐると頭の中を回る。
でも一つ言えるのは、私はこれで満足していない。どこか奥底に、モヤっとした気持ちを抱えているのだ、これでも。このエッセイを書きたいと思ったのは、このモヤモヤをうまく言語化したかったからだ。
可愛いと思われたいけど夫の好みのために自分の好みを捨てたくない
さて、モヤモヤを言語化してみよう。まず、私のメイクやファッションは、ある程度とはいえ、夫の好みに寄り添いたい。その気持ちは、決して悪じゃない。というか、世の半数くらいの女性は同じように思ってるんじゃなかろうか、と思う。
ただ、私は自分がそうしながら、たまに不満で薄暗い感情に苛まれる時が来るのだ。その原因は、夫の好みのために、自分の好みを捨てる行為をするからだ。
言い換えれば、夫の視線を気にしている。自分で似合う服より、夫がほめてくれた服を着たり、夫が似合うと言ってくれたメイクをしたり、そういうことをしてしまう。
そうだ、夫の名誉のために、夫ははそんなことは望んでいないことを一応申し添えておく。どんな服を着ていても蔑んだりしない。眉毛が太い時はちょっと笑われるけれども。
二回目になるが、私がとてつもなく質の悪い女なのだ。ただ、私はこの感情を対夫にだけ向けている。それでもモヤモヤするのだが、世の中には、それを街ゆく人々の視線や、悪意を持って接してくるような人のために向けてしまっている女性がたくさんいる気がするのだ。世の中に馴染むファッション、メイク。みんなが脱毛しているから、私も。
私は先述した通り、夫にのみ向けていて、世の中の視線なんて正直くそくらえくらいに思っているし、自分の体は愛おしく思っているのにも関わらずここまで思うのだから、もし、もしも自分の体の何かを気にしている女の子がいたら、これ以上のモヤモヤを抱えているのではないかと心配になるのだ。本当に。
そして一番は、まだ一歳三か月の我が娘には、将来こんな思いをして、女だからとか、そういう抑圧を絶対に絶対に絶対に受けてほしくないのである。仮に愛おしい人の好みに合わせるとしても、自分の気持ちは捨てないで、自分の素敵だと思うままに生きてほしい。
1つだけでいいから自分が好きなからだにするという提案
ここまで読んで、もしも「自分もそういうとこあるな」と思った方がいれば、今日、もしくは明日、一つだけ、自分の好みを捨てて誰かのためにしていたからだを、他人の視線など気にせずに、自分の好みのからだにしてみませんか?と、お前何目線だよ、という問いかけを是非したいのである。
結局は、自分の好きな自分が一番美しいんだ、と声は小さくても、少しでも多くの女性に思ってほしい。だから私はそう言い張って生きる。
そして、私は今日、夫が昔、「それあんまり似合わないね」などとのたまったせいで我慢していた、最高にお気に入りのバーガンディのアイシャドウをつけて出勤してやるのだ。