BARで出会った男性に言われた、もやっとする言葉
あれは、そう…友人と二人でBARに飲みに行った日のこと。60代の年配の男性が、かなり酔った状態で私たちに話しかけてきた。一緒に飲まんか?と誘っているようだった。私たちが苦笑いして受け流そうとしていると、私たちの顔を見比べてから、私に向かってこう言った。
「お前は男なんか?声は女やな?なんや、LGBTか?」
堂々とした口調で、さも確認して当然のごとく聞かれた。
「すみません。一応、女ですが。(笑)」
そう言って私は答えた。考えるまでもなく、咄嗟に答えが口から出てきたのだ。自分で言ったことだが、どうして謝ったんだろう…。取って付けたような一応という単語。そして、笑って質問を受け止めた自分のことも、なんだか許せなかった。
「そうか?女っぽくないから、どっちか分からんかったわ。」
やり取りはまだ続くのだが、ここでは省略させていただきたい。
女っぽいって何?決して避けることができず付き纏うステレオタイプ
さて、ここからが本題です。女っぽいとは何なのでしょう?
何が女であるということを示すのか。
髪が長いとか、スカートを穿いているとか、化粧をしているとか?それとも、声が高く、仕草に愛嬌があるとか?
確かにその日は、事情があって服装は黒シャツx黒のチノパンでオールブラック。ちなみに黒髪ショート。そういった見た目をしていました。だから、あんなこと言われてしまったのだと、自分に言い聞かせた。でも、何とも形容しがたいもやっとした気持ちは決して消えなかった。その、もやっとについてお話したいのです。
女という生き物のイメージを押し付けられている嫌な感じ。人の持つ、漠然としているくせに紛れもないステレオタイプ。どこへ行っても何歳になっても付き纏うものなのかもしれない。私たちは決して、避けることはできないでしょう。
性別という分類に多様性が生まれているといっても過言ではないこの世の中で、今回のような出来事に遇ってしまうのは、とても嘆かわしい事。だけど、私はこの男性に何か言い返したいわけでも、論破したいわけでもない。世の中を知らないのですね。なんてことは言うまでもないはずだから。
堂々と誇らしく、自分が決めた正解をまとって生きていきたい
最も大切なのは、自分が自分らしくいることだと思うのです。自分に素直に正直にいること。そして、自分であることを堂々と誇らしく思って生きること。
恋愛でも就職活動でも、ファーストインプレッションが重要。人は見た目が何割。とか。こういうの、耳にたこができるほど聞きませんか?
もちろん、礼儀としての見た目は大切だと思います。人を不快にさせないというマナーは守るべき。それは大前提としましょう。
しかし、私たちが生きる上で見た目なんて取るに足らないことだと思います。(もしかしたら、そう自分に言い聞かせているだけかもしれないけれど。)私が今回の出来事で一番悔しかったのは、少しでも自分を疑ってしまったことです。私って、女らしくないのかな…。この疑問が一週間、頭の片隅にあった。(笑)髪を伸ばそうかな…着替えてから出かけるべきだったかな…。そんなしょうもない考えも実のところ過りました。
だけれども!女らしさなんて誰が決めるのでしょう?大多数の考えが正解?自分より長く生きている人のいうことがもっともでしょうか?私は、正解は自分が決めるものだと声を大にして言いたい。
そして、自分が決めた正解をまとって生きていきたいと思うのです。疑う余地もなく、自分がありのままでいることを幸せに感じて生きていきたい。
そして、それが徐々に受け入れられ始めている世の中だと信じたい。正解を押し付けるのではなく、それぞれの正解を受け止め合える世界になっていきますように。