“美しさ”とは、なんだろうか。
大きくて、くりくりと輝く、淡い色した瞳のことだろうか。
お人形さんみたいに手足が長くて、まるで絵に描いたような、完璧なスタイルのことだろうか。
どこから見ても艶やかで、吸い込まれそうな、漆黒のロングヘアのことだろうか。
思い浮かべてみると、それはもうキリがなくて、どれもこれもが羨ましくて。
そんな風になりたくて、みんなに隠れてちょっぴり努力もしてみたけれど。
残念ながら、わたしは、そのどれも、持ち合わせてはいなかった。
今までも、今も、きっとこれから先も、ずっと。
3年前の秋、わたしは、はだかになってカメラの前に立っていた。
いわゆる、ヌードモデルだ。
(自分では、はだかの被写体と呼ぶことにしてる)
エロい作品を創りたいわけじゃ、なかった。
全然、なかった。
わたし達って、そのまんまでも悪くないよねって。
今よりほんの少し、明日を強く生きれるような、そんなものにしたかった。
ただ、それだけだった。
はだかでシャッターを切られるたびに、心が洗われるような気がした。
わたしの想いに賛同してくれた友人が、ファインダーを覗いてくれた。
作品撮りなんて、被写体なんて、したことなかった。
カメラの前ではだかになったのも、もちろんはじめてだった。
なんでかわからないけれど、一枚、また一枚とシャッターがきられるたびに、穏やかな気持ちになった。
心が、洗われるような気がした。
もしかしたら、わたしはあの日、ほんの少しだけ、自由になれたのかもしれない。
できあがった作品をみて、驚いた。
そこには、わたしの知らないわたしがいた。
間違いなく、呪いたいほどだいきらいな、いつものわたしなのに。
おしりが小さくなったわけでも。
大きく張り出したエラがなくなったわけでも。
だんだん腹が解消されたわけでも。
ぱっちり二重を手に入れたわけでも。
もちろん、なかった。
わたしは、いつも通りのわたしで、なんにも変わってないはずなのに。
写真におさまるわたしを、わたしは全然知らなかった。
勇気をだしてはだかになって、わたしは”綺麗”を手に入れた。
「人は見た目じゃない」なんて言うけれど。
わたし達は知らず知らずのうちに、死ぬほど外見を意識してるし、だれかを外見で判断してしまっているとおもう。
ここがだめ、あそこが気に入らない、もっとこうだったら。
あげだしたら、キリがない。
わたしだって、わたしのことなんて、ずっとずっと、だいきらいだ。
でも。
あの日、勇気をだして、はだかになったあの日。
わたしはたしかに、”綺麗”だった。
だからたぶん、わたしはこれからも、はだかでカメラの前に立って、”美しさ”の答えを探し続けるんだとおもう。