つい視線を感じる瞬間がある。
たとえばホクロの毛に。大きいホクロって毛が生えることがある。デートの時は気にして剃るようにしているけれど、それでも少し出ちゃったりする。私の彼はその毛を「気持ちいい」と言って触る。馬鹿にして言っているわけでもないし、その毛に対して「ちゃんと剃って」と注意してくるわけでもない。ただ本当に気持ちいいと思って触っているんだろうけど、女の子って意外とそういうの気にしちゃう。
彼の口癖は「毛は生えてる方が自然」。もう何度も聞いて、聞き飽きた。わかっているけど世の中的に毛はNGとされることが多い。動画サイトを開けば脱毛の広告が流れる。SNSでは「女の子に幻滅する瞬間」と書かれた投稿があって、投稿を開いてスライドして読み進めれば「毛の処理がちゃんとされてなかった時」なんて書かれている。
たった1本、短いホクロの毛の処理を忘れていたことが、誰かからの印象を下げるきっかけになったかもと気にしてしまう。
たった1本の毛も水ぼうそうの痕も、いつも見られている気がする
他にもっと視線を感じることがある。
水疱瘡の痕、つまり「クレーター」。私の場合、運悪く顔に残っている。整形したいと何度も考えたけど、調べれば調べるほど成功しない気がして怖くて手が伸びなくなった。小学生のころ「大人になったら皮が引き伸ばされて自然になくなるよ」と言われた。もう24歳でいい大人になったけれどなくなる気配はない。その代わりに化粧という術を覚えた。完璧には隠せないけど、それでも自分の中では大革命だった。
でもたまに無垢な子供に「どうしてお顔が穴だらけなの?」と聞かれることがあって、私の顔に穴が開いてることを思い出してしまう。
毛の処理をして、化粧もして隠したら、ようやく気持ちが軽くなる
もともと私は他の人からの視線を気にしすぎる傾向がある。それは一長一短で、自分についての向上心が人一倍あるといういい点と、ありのままの自分を認められないという悪い点がある。
ホクロの毛や顔の穴ぼこは個性なのか、それとも他人と違って気持ち悪いのか。私はどうしても周りからの視線を後者のように捉えてしまう。だから丁寧に毛を剃るし、ファンデーションを厚塗りするようになった。私の個性だった「かもしれない」ホクロの毛を剃って、顔の穴ぼこを隠したら、視線を感じる瞬間はずいぶんと減って、自分の容姿に悩むこともなくなった。
個性は大切って言うけれど。個性を消すことが、私らしくいられる方法
個性は大切だって言うけれど、一般論という厳しい視線が個性をかき消しているような気がする。私も「容姿が変わっているな」と思うと、ついその人を見てしまうし、その人に対して刺さるほど痛いであろう周囲の視線のひとつになってしまうことがある。「量産型女子大生」だってみんな視線を気にした結果の産物かもしれない。
「私流、他人の視線を少しでも気にならなくする方法」は「自分らしくいるために個性は消す」。みんな違ってみんないいかもしれないけど、みんな一緒でもみんないいと思う。