自分の体がとにかく嫌いだ。

力仕事がメインの職業に就いて6年経った。自分で言うのも何だが、男社会の荒波に揉まれてなかなか頑張っている。仕事を頑張るほど逞しくなっていくわたしの体は努力の結晶そのものだ。

それでも、着る服を選んでしまうこの体では"女として"戦うには不利なことばかり。レディースのシャツはサイズアップしても肩が詰まってしまうし、ヒラヒラなワンピースを着ようものなら女装したオネェに見えてしまう。

鏡にうつる裸の自分は男なのか女なのか。お風呂に入るたび首をかしげる。女の部分を残した男に近いのかもしれない。

四六時中こんなことを気にしてるわけじゃない。意外にも、好奇心や侮蔑的な視線には慣れるもんだし、自虐ネタだってお手の物だ。
こうゆう人達はそもそもわたしに何も求めていないから、どのように見られようとこちらも平然としていられる。

好意での言葉とわかっていてもつい卑屈に捉えてしまう

じゃあ何が葛藤を生むか、自分の"女らしさ"への需要と供給が成り立たないときだ。

合コンや飲み会に行けば、「ボーイッシュな子がタイプなんだ」と連絡先を聞いてくれる異性もいた。それってわたしが女として不能ってこと?

「彼氏よりかっこいいし、わたしの気持ちを理解してくれる。理想の彼氏像だわ~」恋愛相談を持ちかけてきた女友達が、何気なく言う冗談が刺さった。あなたの気持ちが分かるのは同じ女だからだよ、口には出さないけれど。

どれも純粋な好意だが、女として求められたいのに叶わなくて卑屈に捉えてしまう。あなたの視界の中、わたしはどう写ってる?

そんな日々に転機が訪れた。ある時、SNSで流れてきた下着の通販サイトが目に止まった。

適度な透け感、レースを使った繊細なデザインに心を奪われた。セクシーすぎて似合わないとは思いつつ、下着なら簡単に人の目に触れないと思って衝動買い。

届いたランジェリーはふわりと柔らかくて、身につける時は少し緊張してしまった。子供の頃、こっそりお母さんの化粧品でいたずらしたときの感情に似ている。いけないことだと分かってるけどワクワクが止まらない。

お気に入りのランジェリーを身に着ければ自分の中の女が目覚める

鏡にうつる自分に男の部分は消えていた。
他人から見たら不釣り合いかもしれない。筋肉の張り出した逆三角形の背中に細い肩紐がかかってる。自分では女っぽくて扇情的な光景に見えた。わたしの中に住む眠り姫もようやくお目覚めだ。

それからというもの、気に入った下着を見つけては買いあさってる。めいいっぱい背伸びして選ぶランジェリーは誰に見せるでもない。

見せないことが大事なのだ。「一見男らしさすら感じる容姿の内側は女の部分で満たされてるの、あなた達は知らないでしょ?」と、人に対して線を引けるようになった。

男になるも女になるも自由だ。
わたしは欲張りだから、どちらの部分も捨てる気はない。

男のようにガッチリした体型は今でもコンプレックスだけど、人に見られて気遅れするのはもう終わりにしよう。他人の評価に任せていちいち傷つくなんてナンセンスだ。
今日もわたしは左手にランジェリー、右手に強がりな自分を抱えて人生というランウェイを歩くよ。
客席の視線なんて気にしない、真っ直ぐと前を見て。