服を選ぶ時、自分のなかでこんな心の声が聞こえる。
(ストリート系かわいいなー、、でも系統ガーリーで通してきたし、買っても手持ちの服に全然合わないじゃん。)
(あっこのニットめっちゃほしいんだけど!でも私イエベだから、こういう青みピンク着ると顔色に合わないか、、)
(こんなパンツ履いてる人お洒落だよね~、、でも私骨格診断でウェーブだったからこんなの着ちゃったらいま以上に太く見えるかも、、)

これ良いな!ってきゅんきゅんして買った服を着た日に、案外友達とか彼氏から褒められず、なんとなく買ったワンピのほうを、あれ可愛かったよ!っていわれるっていう経験を重ねて、私はいつの間にか自分の"好きな服"よりも、"似合う服"を探すようになっていた。
自分の似合うものが分かっていないのかも、と思ったので、自分を客観視するためにネットで色んな診断もやってみた。

合わないとわかって恋したジャケットは見るたびにときめかせてくれる

"好きな服"を見つけても、それが私に"似合う服"であるということはあんまり無くて、私は夜な夜なスマホで色んな通販サイトを渡り歩き、"好きだし、似合う服"探しに精を出している。
探検に疲れて、結局"似合う服"を買うのだが、そのたびに胸には雨雲のようなもやもやが発生して、"好きな服"を見つけたときのときめきをすっぽり隠してしまう。

でも、どんなに自分に(これは私の体型と顔色に合わないんだから、良い投資じゃないよ。買ったら絶対後悔するよ!)って止めても止められないくらい恋した一着のジャケットがある。
それは私のクローゼットには正直場違いなんだけど、毎日目に入るたびに出会ったときのきらきらした感覚を思い出させてくれていた。

ある日、朝身支度をしようと洗面所の鏡を見たら、
そこには前夜の服ハントで疲れ切った半目の私がいた。
毎晩毎晩、自分の"似合うし、好きな服"探しで疲れた私は、あんまりきらきらしてなかった。

私は私以外の誰にも「この服を着なさい」なんて言われていない

服選びって、ほんとはもっときらきらしてて、楽しくて、自分を表現できるものじゃなかったっけ。
初めてのバイト代で、初めて親抜きで友達と服を買いに行ったとき、とっても自由だなって思った。
もう誰にもどの服を着なさいって言われないんだって。
これからは、どんどん好きな服を着れるんだって。

わたしは鏡の中の自分を見ながら、あのとき感じた自由を思い出し、
そう、私は誰にもどの服を着なさいって言われてないんだ。
ただ私だけが、鏡の中のこの人に、どの服着なさいよ、って言ってたんだ。
って気がついた。

その瞬間私はいてもたってもいられなくなり、
自分の部屋に駆け足で戻って、クローゼットを開け、運命の一着のジャケットを手に取り、初めてそのタグを切った。