私は今20歳だ。
物心ついた時から、お洒落が大好きでませた子だった。幼稚園の前日は母に編み込みをしてもらう。次の日にほどくとフワフワになって可愛いのだ。友達も先生もみんな褒めてくれて、「髪の毛が可愛いだけで私が可愛いんでしょ」ってそう思えた。
でも、母は毎日編み込みをするのに疲れてしまったらしい。ある日私はパーマをかけた。

小学1年生。初めて私が味わった恐怖、それは残ったパーマを上の学年の子につつかれることだった。
「パーマなの?」「天パなの?」私には訳が分からなかったけど、お兄さんお姉さんから聞かれるその言葉が怖くてかけた、ストレートパーマ。

小学校高学年。母が月に一度買ってきてくれるファッション雑誌が一番の楽しみだった。
大人みたいにお化粧をしてヒールを履いて…憧れの姿になれる日はまだまだ遠かったあの頃、そんな私が唯一自分で努力できたこと、それは髪のお手入れだった。おしり辺りまで伸ばした髪の毛を、毎日丁寧にシャンプーしてトリートメントして乾かして。CMにも敏感でしょっちゅうシャンプーを変えていた。
「お母さん、これ髪の毛をとぅるとぅるにしてくれるんだって!」

中学生。校則により私の自慢の髪の毛は毎日縛られていた。それだけが、私が私であるための努力なのに…。
月に一度の服装検査。前髪が目にかかることは許されない。いつの間にか自分のためのお手入れではなくて、先生のためのお手入れに変わっていった。

高校生。やっと髪の毛を開放できる!!艶々させて女の子らしさのアピール。
あれ?あの子の髪型可愛い。ヘアアレンジが上手だな。今日は前髪が決まらないし、これじゃあ学校へ行けない…。今日は前髪がすっごいいい感じ!朝時間に余裕があったからね。
髪の毛のことで一喜一憂。
なんで可愛くなれないの?髪型を変えてみようかな。なんか違う…。
このころからだろう。顔にも体系にも気がいくようになったのは。

髪が映すのは、私の気分と社会の気分

そして、今はどうだ?
髪の毛が気分をつくるし、気分が髪の毛をつくる。セットが上手くいけば1日中自信が持てるし、心に余裕があるからこそヘアアレンジに精が出せる。でも、実は私は辛抱強く髪の毛を伸ばすことができなくなった。
なんかあれが上手くいかない。もやもやする。何か理想の「女」じゃない!そんな風に感じたとき、すぐに美容院を予約してしまうのだ。
髪の毛を少し切ればうまくいくんじゃないか?カラーを変えればきっと…!そう思っている自分がいるのだ。

大学生になって自由に色を染められるようになった今、私はずっと好みの明るい色を楽しんでいる。それまでの漆黒という縛りから抜け出したという解放感と、憧れの海外モデルに少しでも近づきたい、そんな思いから。
初めて明るくしたときのことは今でも忘れない。店員さんに急に大人扱いされるようになったんだもん。

だけど、ケアってとってもお金と時間がかかる。だからこそ、余裕があるかないかって髪の毛を見るだけで分かってしまう。それが何だか恥ずかしくって、いつも美容院代は友達に嘘をついちゃうなあ…。

だけどね、髪って、私の気分を反映するだけじゃなくって、社会の気分も反映しちゃうのだ。
なんとなく分かっていた。だけど、髪色だけで判断される時がある。バイトの面接もそう。この前なんて、面接にいった途端に髪色を見て断られてしまった。
でも私の中身、知りませんよね…?髪色で人柄、才能を決めつけられる。
そうじゃない、私は自分のためにカラーを楽しんでいるのに…。
これってきっと社会の気分。もっと視野をひろ~く中身を見てくださいよ。
そんな私は今、意地でもこの明るい髪の毛を保っている。これは一種の社会への反抗。
私は今20歳だ。これが私の髪と気分。