第一次 見た目問題期は、小学生の頃だった。新体操教室に通い続けるうちに(見た目が美しいってずるい)という感情を持つようになった。

手足がすらりと長く、小顔で首も長く、ウエストがきゅっと締まっている選手は、もう演技が始まる前から優勝が決まっているように見える。ボールもフープもリボンもロープもクラブも、美しい選手が持っているだけでキラキラと輝いている。

どんな努力も衣装も、見た目の美しさで見せつけられらる圧倒的な差

私は幼い頃からずっと身長が低かった。手足も首も短く、典型的な寸胴体型だ。
鏡が視界に入る度に、なんと自分は新体操に不向きな人間なんだろうと落ち込んだ。それでも、華やかな衣装を着て、綺麗なメイクをして、マットの上で美しく舞い踊りたいと願い、毎日練習に励んだ。

美しいライバルに勝つには努力するしかないと自分に言い聞かせ、ストレッチと腹筋背筋側筋100回とランニング2時間をこなし、ササミとフルーツで空腹を紛らわし、少しでも長く伸びるよう親に手足と頭を引っ張ってもらっていた。

何年も続けていると、ある程度は努力が実った。体力の向上に伴い技術も向上し、大会で良い点数をもらえるようになった。しかし、あくまでも[ある程度]だ。
美しいライバルには到底敵わなかった。私が鮮やかな虹色に染めたリボンをくるくる回すより、彼女が真っ白なリボンを一振りするだけで息を飲むような美しさがあった。

私の派手なスパンコールを大量に縫いつけた衣装より、彼女の黒いレオタードのほうに誰もが魅了された。
技術の問題ではない。技術は彼女も私も努力して磨いてきた。その先の、はたまたそれ以前の、見た目の美しさ。圧倒的な差をまざまざと思い知らされた。

(見た目が美しいってずるい)と感じた私が選んだ道は、他人からの視線が関係ない世界だった。新体操教室を辞め、勉学に励み、資格を取り、専門職に就いた。
勉強すればするほど仕事の結果がついてくる世界では、必要最低限の身だしなみ以外さほど見た目を取り繕う必要がない。

仕事以外の時間で、私は私のためにお洒落を楽しむようになった。他人からの視線を気にせず、自分が心地よいと感じる服とメイクで、自分が心地よいと感じる人間と楽しい時間を過ごすようになった。いつのまにか、(見た目が美しいってずるい)という感情は忘れていた。

今も見た目に執着する自分の浅はかさを知った、不妊治療・妊娠・出産

第二次 見た目問題期は、20代半ばの不妊治療・妊娠・出産を経験した頃だった。
短期間で私の身体は著しい変化を遂げた。寸胴が突然ガリガリのマッチ棒になり、続いて風船のように膨れ上がり、最終的に立派な鏡餅になった。薬やホルモンの影響で、自分の意思ではどうにもならない体型変化があるということを実感すると同時に、これまで何度も他人の見た目に対して「自己管理が出来ない人間」というレッテルを無意識に貼っていた無知な自分を恥じた。

そして、(見た目が美しいってずるい)という感情をもっていた当時の自分を思いだした。大人になり、[他人からの視線]が気にならなくなったことで成長したつもりになっていたが、[他人への視線]には執着したまま浅はかさだけ肥大していたことに気がついた。

視線に執着して自分を卑下していたあの頃から、私は何も成長していなかったのか。

見た目の違いを人間としての優劣と結びつけてはいけない。自分に対しても、他人に対しても。
見た目の違いはあくまで見た目の違いであり、自分を卑下するものでも、他人を貶すものでもない。

上を見てずるいと言い、下を見て怠惰と嘲笑う自分は、もう捨てようと決意した。

自分の価値を信じて。見た目の違いをもしも娘が悩んだら伝えたいこと

今、私には0歳の娘がいる。瞬きを忘れてしまうほど可愛い。可愛くて可愛くてたまらない。こんなに可愛い娘も、これから先、見た目に悩むことがあるかもしれない。

そんな時
「見た目なんて気にするな」とは言わない。必要最低限の身だしなみとTPOをわきまえた装いは教えるが、それ以上の見た目について気にする気にしないは本人の問題だから私が押し付けてはいけない。

「あなたは世界一美しいからそれ以外の周りの評価がおかしい」とも言わない。既に存在している客観的な評価を自分に都合の良いようにねじ曲げても何も解決しない。

「見た目の違いで自分に不利な状況と判断したら、別なフィールドで戦いなさい」と伝えよう。決して不利な状況のまま戦い続けて自分の価値を見失わないでほしい。

娘が大きくなる頃には、どうか皆が視線に縛られず自分の価値を信じ続けられる世界になりますように。