指の形が好きになれない。
私の指は、まるでボーリングのピンみたいに、真ん中の関節だけ出っ張っている。

指が太くなったのは、じんじんと響くあの痛みに向き合わなかったから

遠目で見ただけではわからない。
でも、親指と人差し指で反対の手の指をつまんで、上から下になぞってみるとよくわかる。しっかりとした丸い骨が、指の真ん中にある。ぎゅっとつまんで押しつぶそうとしても、びくともしない。

鉛筆をはさみの刃で削っている弟の姿を見て、私の丸い骨もあんなふうに削れたらいいのにと想像するけれど、実行はしないし指の太さも変わらない。
指が太くなってしまったのは、学生時代にバスケットボールとバレーボールをしすぎたせいだとよくわかっている。
当時は突き指に構っていられなかった。突き指は怪我という認識がそもそもなかった。痛くてじんじんして、練習の妨げになるとしか考えていなかった。

突き指になったら冷やしましょう、安静にしましょうと保健の教科書には載っていたような気がする。教科書に書かれている突き指は随分と大袈裟で現実味がなかった。真っ白のテープでぐるぐる巻いて、誤魔化していた。活躍するあの選手のように、格好よくテープを巻けるかどうかが大切なことで、それ以外はどうでもよかった。痛みが和らいでいるかどうかは二の次だった。

ハンドクリームがあれば、私は自分の手を嫌わずにいられる

指輪をつけている手を、じっと見つめてしまう。滑らかな肌と細く伸びる指をなぞるように見てしまう。白くて先の方が消えてしまいそうなくらい細い指に銀色の金細工は映える。
私の指は、きっと指輪をつけようとしても途中で止まってしまうだろう。

途中で止まってしまうのを改めて確かめるのが嫌で、売り場に置かれている指輪を見ない。手に取ることなんて、できない。
細い指をした、儚げな女性らしい女性のため用意された金細工。規格外であることを不意に突き付けられると、痛い。
自分の手が嫌いになりそうな時、私はハンドクリームを塗る。

ハンドクリームは正義だ。塗るだけで、自分からいい匂いがする。いい匂いがすると、少し優しくなれる。
昔よりはっきりと見えるようになった肌の模様だって、少し控えめになるような気がする。かさかさ、ざらざら、でこぼこしていた手が、少し丸っこくなるような気がする。
だからって、太くてまるっこい指の骨を好きになれるわけじゃない。ぎゅうっと押してみたり、やっぱり何も変わらなくて見ないふりをしたりする。

それでも、ごつごつではなくて、よかったとおもう。ごつごつじゃなくてまんまるで、ちょっとでこぼこ。そのくらいなら、まあいいかと思える。