私は大学時代に半年で25万円の奨学金を、学校からもらっていた。成績が良いともらえるもので、使い道については厳しく言われていなかった。貸与式の奨学金も借りていたけれど、私には大切な奨学金を使ってでも、しなくてはならないことがあった。初めての恋人ができて、脱毛サロンに通い始めた。付き合ってすぐにしたことは、夜通しサロンの口コミについて調べることだ。効果、回数、そして金額、”脱毛博士”を名乗れるのではないかというぐらいに調べあげて、まずは脇とVIOの部分脱毛を始めることにした。
自分の体なのに感じる違和感を払拭するため、奨学金を使って脱毛へ
人生で初めて、VIOの箇所に視線を向けたのが、このタイミングだった気がする。それまでは自分の体にありながら、得体の知れない場所だった。初対面の印象は”こんなものいらない”という自分の体に対しての気持ち悪さだ。『寄生獣』の主人公に憑いたミギーみたいに、私自身の本体ではないみたいだった。他人に気持ち悪がられるのではなく、自分の体に対して、私自身がこんな視線を向けてしまうことが悲しかった。
私はその気持ち悪さを打ち消すためにVIO脱毛をしたけれど、強烈に痛かった。毛根が太い箇所を脱毛すればするほど、脱毛時の痛みが増すらしい。私の場合は、光を照射する時に、太い針を何本も突き刺されたと感じる程の痛みだった。従業員の方に「痛くないですか」と聞かれるのだけれど、痛い程にやらないと十分に脱毛されないと思い、我慢し続けた。
部分脱毛をすると、その他の箇所とのムラが気になってきて全身脱毛に移行することが多いらしい。私も例に漏れず、サロンを変えて全身脱毛した。約18万円、大学生にとって決して安くはない金額を、頑張って大学に通って得た奨学金から捻出した。
周囲に脱毛を強く勧めていた私が、契約途中で止めてしまった理由
脱毛のために大金をかけた私に、「羨ましい」と言ってくれる友人もいた。「私なんてボーボーだよ」という言い方で褒めてくれた友人には、自慢げに脱毛を勧めていた。二十万近くもしたのに費用対効果が良いと言ったし、毛が減るということが必要不可欠で、脱毛をしないと不完全な体であるかのような言い方までした。
そんな私は15回コースなのに、10回で全身脱毛に通うのを止めた。体に異常が起きたからだ。完全に自己責任である。脱毛の翌日までは体に負担がかかるからとのことで、そのサロンでは飲酒や激しい運動は禁止されていた。しかし、多忙だったし、サロンの予約枠も限られていたため、前々から約束していた飲み会の前日に予約してしまったのだ。その飲み会は友人全員が二十歳になったお祝いの、特別な飲み会だった。私は脱毛したばかりの体で飲み会に行き、しこたま飲んでから、道の脇で嘔吐し続けた。帰宅後も寝ながら、吐き続けていた。それから、脱毛が体に与える影響は馬鹿にならないということを体感して、サロンに通うのを止めた。以来、お酒を飲んで吐いたこともなければ、酔ったこともないので、やはりあの状態はおかしかった。
大切な友人たちに迷惑をかけてしまったこと、自分の体を痛めつけてしまったこと、そして、大切な奨学金を自分の体のミギーをどこかに追いやるために使ってしまったことが、悔しくて悲しくてたまらなかった。私はアルバイトのシフトを増やして、全身脱毛の費用を自分で稼ごうと決めた。
脱毛しなくたって自分の体は愛すべき存在。自分にとって快適な選択を
脱毛自体が、悪いことだとは全く思わない。ただ、その目的については冷静に見つめ直した方が、悪い気分にならないだろう。自分の体を愛するためにするのが一番だ。例えばVIOを脱毛するならば、生理の時の肌負担が減るといった、自分の快適さが理由になれば良いなと思う。
自分のことを”脱毛博士”だと思い込んだ私から、最後に伝えたいことは、脱毛をしなくたって、自分の体は愛すべき存在だし、大切な人は自分の体を愛してくれるということだ。脱毛をするかしないかは、パクチーを食べるか食べないかと同じぐらいに、どちらでも良い。脱毛をしている友人が、自分の行為を正当化するために勧めてきたとしても、企業広告が考えを押し付けてきたとしても、周囲の人の体験談や私のエッセイを読んで、リスクだと思ったら、自分の体を守るために脱毛は止めよう。何よりも大事なのは、他者の視線ではなく、自分自身が自分の体に対して冷静かつ肯定的な視線を向けられるかということなのだ。