中学の修学旅行、大浴場が怖かった。
温泉は好きだけど、仲良くもなく他人でもない顔見知りたちに裸体を晒すことが、ひどく不安だった。
そしてその不安は的中した。

大きなお風呂に浸かる私を見たクラスメイトは、私の胸元を見て半笑いで言い放った。
「無っ」
嗚呼、こうなることは分かっていた。
けれど、修学旅行合わせて自分の身体の形を整えることなんてできない。

遠くから聞こえて来る「ねぇ見た?マジ引くわ~」という賑やかで楽しそうな声を聞きながら、このお湯に溶けて消えて無くなってしまいたいと思っていた。

私なんか、私なんて。考えれば考えるほど嫌いになる自分の身体

身体の形はあまり変わらないまま、大人になった。
男性とお付き合いすることもあったけれど、みんな決まって言うのだ。
「もう少し胸が大きければ良かったのに」

ホントだよね。ごめんね。恥ずかしい。
照れ笑いのフリをしながら、心の中はズタズタに傷付いていた。
私は貴方に「もっと高身長な方がいい」だとか「もっとイケメンな方がいい」だとか、そんなこと言ったことないのに。

けど、でも、やっぱり、言わずにはいられないほど、私の身体は醜いのだろう。
私なんかが彼女で、恥ずかしいんじゃないか。
私なんかと別れて、もっと魅力的な身体の人と付き合えばいいのに。
私なんて、友達に紹介するのも憚られるような見た目だよね。
私なんか、私なんて、私は、私は、私は……。

考えれば考えるほど、私は自分の身体を嫌いになった。
どうにかならないものかと整形について調べたこともある。
全身整形した人がYouTubeで豊胸手術が最も痛く、苦しく、自殺しようかと思ったほどだと語っていた。

高いお金を払って、死んだ方がまだマシだと思うほどの苦痛に耐えて、漸く私は愛してもらえる身体を手に入れられるのか。
突き付けられたその現実が、既にとんでもない苦痛だ。

定番の自虐を真顔で返してきた友人の言葉で、はっと目が覚めたこと

ある日、一緒に遊んでいた胸の大きな友人に「いいなぁ、胸が大きくて。私なんてもう真っ平らだよ。貧乳どころかこれじゃ無乳だもん。ホント恥ずかしい」と、もはや定番のようになっていた自虐で笑わせようとしたら、私の目をじっと見つめて真剣な顔をして友達は言った。
「あのさ、あなたは胸が小さくて何か困るわけ?」
……えっ?

いや、確かに。
困ったことはない、かも。
「胸が大きければ大きいほどいいって、それはあなたが本当に心から思っていること?」
そう言われて目が覚めた。

胸が大きければ大きいほどいいだなんて、私自身は思っていない。
それらは、今まで関わってきた人たちの価値観で、それらが刷り込まれてまるで自分の価値観であると誤認していたことに、はたと気付かされた。
ちゃんと自分の身体について自分の頭で考えてこなかった。

誰かの好みで自分を否定する必要はない。私は私の身体が好き

そうだ。私は、私なりに、私の身体が好きだ。
胸は小さいけど、全体的に細めの身体を私は気に入っている。
自分の好きな服を綺麗に着こなせているのだから、体型に関しては何の不満もない。

あれ?私、なんでこんなに悩んでたんだっけ。
誰かが私の身体を醜いと意見してきても、それに素直に応じて自分を変えようとしたり、自分自身を否定をする必要はないんだ。

私の身体は、私のものなのだから。
私が好きなものを、誰かの勝手な好みの押し付けなんかで変えさせてやるもんか。
私は私の身体で、生きていく。