「普通になりたい」

これは長年私が母に対して放ってきた台詞だ。

物心ついたころから、周りから浮いているような違和感があった

物心ついたあたりから自分が周りの友達から浮いているような、ある種違和感のようなものを感じていた。

五体満足、病気もせずに身体は健康だった。

だが、よく一緒に遊んでいた友達は軒並み細くて私だけが少し太っていた。

写真に映ると明らかに私だけが大きい。

当時は小さかった事もあり、言葉で上手く表す事は出来なかったけれどいつも心の中では落ち込んでいた。

体型の事だけではなく、どこか普通じゃないと感じていたのは家庭環境のこと。

まず、父と母の出会いからして普通ではない。

父の大学時代、一人暮らし中のアパートに宗教の勧誘で訪ねた母が惚れてそこから付き合うことになったらしい。

他の家の両親というのは、大体が同じ学校だとか同じ職場、あるいは紹介の人が多いと思う。

実際一番仲良くしている友達の両親は学生時代に出会ったようだ。

この話題は何とかうまく流してきたけれど、やはり友達には言えない。

父を勧誘したその宗教には、今や家族全員で入信している。

私がもし今後結婚することになったらその相手も入れないといけないと母に言われたことがある。

もちろん私としてはそれは極力避けたいし、もしそれを強要されようものならその相手と逃避行しようと思っている。

あとは母の家系に水商売の親子がいるということ。

先に言っておきたいのが、水商売に対して今はもう偏見を持っていないしお金を稼ぐ手段としては良い方法だと思う。

でも、幼少期から親戚内でそういう話題が出る事は「普通じゃないな」と子供にでもぼんやりと分かることだ。

その親子は東京近郊に住んでいて、たまに田舎の方に顔を出す。今は子供(孫)もいて少しは落ち着いたようだけど、当時は職業柄見た目は派手でとても目立っていた。

大人になった今も、人を「普通か」「普通でないか」で見てしまう

母には「あんたは普通の幅が狭すぎる」と言われる。

両親は言ってしまえば平社員。

友達と親や親戚の話題になったりすると、私の親以外お堅い職業の人が多かった。

田舎なので地域的にもそういう人が多いというわけではないのだけど。

学校の先生、塾の先生、看護師、大企業に勤める人…

その中で生きていたらこちら側がマイノリティになるので、なかなか自分を普通だと思う事は出来るわけがない。

そのコンプレックスを心の片隅にしまい込んだまま私は大人になった。

大人になった今も自分のことはさておき人を見る時は「普通か」「普通でないか」で見てしまう時がある。これは直したくても直せない。

たまにこれが見えない探知機として役立つ時もある。

大人になるまでも色々な人と会ったり私よりも壮絶な環境で育った人の話に触れる機会はあった。

でも、「その人はその人」でしかない。

「普通の人」を見て落ち込む。でも、その枠に入るのは諦めだした

療育環境に疑問を抱きながら育った私。普通という概念に対して少し諦めがついたのは、成人後ASD(自閉症スペクトラム)と診断された事も手伝った。今年の8月のことだった。

「普通になりたい」

と何度も放ってきたこの言葉は内側からの叫びに近いのかもしれない。

生まれてから診断が下るまで22年間。親も医者も誰も私に障害があることなど分かりはしなかった。

判明してまだ3ヶ月。自分基準での普通の人を見ると落ち込むことがある。

けれど、自分がその枠の中に入ろうと思う事はもう諦めだした。

これからの人生、普通じゃなくても波瀾万丈でも構わないくらいの気持ちで歩むつもりだ。

きっとまた落ち込む日もあるだろう。ただ、長いスパンで見たらそういう日は少なくなっていくはず。

家系に対しても年齢を重ねるごとにもっと受け入れていけたらいいな。

普通じゃない人、万歳。普通になれなかった人、万歳。