2020年12月26日わたしは30歳になる。
わたしは今年の2月から付き合いはじめた恋人がいる。4月から同棲もはじめた。いわゆる結婚を視野にいれたお付き合いをしている。
夢見るわたしは、12月26日で30歳になるし、付き合ってほぼ1年だし、年齢も時期もちょうど良い、もしかすると誕生日に彼からプロポーズされるかもしれない。という期待を抱いていた。
いや、プロポーズはないにしても、彼と過ごすはじめてのわたしの誕生日。どんな日になるのかワクワクとドキドキでいっぱいだった。
彼の勤務シフト表を見て絶望 誕生日を忘れられていた
11月の終わり。彼の職場の勤務シフトが配布され、わたしもそれを目にした。すると、12月26日「早」(=早出勤務)と書かれているではないか。
彼は、わたしの誕生日に休みの希望を出していなかったのだ。
ちなみに、彼は割と自由にお休み希望を出すことができる。12月も、2人で計画をしていたイベントに合わせてお休み希望を出してもらったくらい。だけど、自分の誕生日に「お休みをとってね」とわざわざ言うのもなんだと思い、そこは黙っていたが、彼は休みをとっていなかった。
いやいや、別に休みなんてとらないでしょう。という声も聞こえてきそうだが、お休み希望を出さなければ、三交代勤務の彼は夜間勤務になっていた可能性もあるのだ。
わたしは、「まさか」と、肩を降ろし、絶望した。
「彼は、わたしの誕生日を忘れている。」
泣いて謝る彼を横目に思ってしまった わたし、大事にされてない?
当日まで、彼が思い出すのを待つ。色々と悩み考えた。でも、ヘタな意地は張らず、直接尋ねてみた。
「12月は何がある?」
問い詰めたところ、やはり彼は私の誕生日を忘れていた。(ちなみに彼の誕生日は既に祝い済。)
付き合いはじめたら誕生日なんて忘れるのかもしれない。
だけど、「今回」は、付き合って「はじめての」わたしの誕生日だし、なんなら30歳という節目、他の誕生日より重大じゃない?365日の内12月26日以外、覚えておく日ってある?むしろ、わたしの誕生日いつだと思っていたの?
と、悲しすぎてクソ腹が立った。
彼は謝りながら「自分がダメ過ぎて辛い」と泣いていた。
泣きたいのはこっちじゃボケ。
しかし、あまりにも落ち込み、布団にくるまり出てこない彼を見ていると、もう、わたしの涙と悲しい気持ちは奪われ、わたしはテキパキと洗濯や掃除をし、からだを動かす他なかった。
翌朝も反省をしている彼。
この出来事を、他人事だと思って聞くと、こう思う。
「誕生日を忘れられていたなんて、大事にされていないんじゃない?」
「普通」と照らし合わせて一喜一憂するよりも、彼自身を見つめたい
実際、そう思った。「あれ、わたし大事にされていない?」
でも、よくよく考えなくても、わたしは毎日彼の愛を感じ、大事に、大切に想われていることを感じ暮らしてる。
たった、一度の彼の「うっかり」だけにフォーカスを当てて判断するのではなく、これまでの彼との時間にちゃんと目を向けることが出来た自分を褒めた。
さて、ここで、わたしは自分に対して違和感を抱いた。
12月26日/誕生日/30歳という節目/付き合ってほぼ1年/同棲している/二人とも同じ歳/仕事もしている
これだけの条件が整っていたら、12月26日にプロポーズするのが普通じゃない?という、自分が持ち合わせている「普通」は、世の中のみんなで一緒に作り上げた「普通」なのではないか。
だけど、その「普通」にまんまとわたしは苦しんだ。
自分が持ち合わせている「普通」という感覚を彼に「期待」という形で押し付けてしまっていたことや、自分がその「普通」が叶わなかったことにより傷ついてしまったこと。
でも、「普通」って、一応「基準」みたいなものでもあるじゃない?「普通」というなんとなくの共通意識によって、上手く行くこともあるし。
今更「普通」の見直しなんてこともめんどくさい。
ああ、普通。ねえ、普通。
普通の流れ、普通の考え、普通のサイズ、普通の時間、普通の見た目、普通、普通。
きっと、みんなで作った、普通。みんな、しんどくなってない?