私は、今年の7月末に正社員として3年勤めた会社を退職した。
理由はお決まりの一身上の都合だ。
3年勤めた実績だけ欲しかった。自由になるための下準備
「一身上の都合」を少しだけ砕くと、このあとの人生を生きやすくするために、3年勤めた実績だけが欲しかった。という本音が隠れているのだが、バカ正直に伝えるものでもないので、便利なオブラートを使わせてもらった。
不思議なことに社会人経験を積んだ実績を持っていると、転職活動やアルバイト面接が受かりやすくなる。
というか、持っていないと面接前に弾かれることがある。
求人サイトの募集資格に、社会人経験何年以上と記載している企業を幾度となく見かけてきた。
実績を持っていてもその人を語ることはできないのに、おかしな話だ。
そんなに信頼に値するものなのか?
ろくでもない社会人なんて雑草のようにたくさんいるのに。
私はとてもじゃないが納得できない。
実際に会って対面で語って初めて人となりがわかるのではないのか。
人との出会いに妥協を挟むのは、本気で人材を探していない証拠だと私は思う。
実際に私が勤めた職場の社員達は電車移動中に自撮りを始めたり、ホームでは大声ではしゃいだりと他人を演じるには十分な痴態を晒していた。
その他大勢の中の一人だとしても私は私。普通と模範は別もの
とまあ、過去のことはさておき、私は晴れてフリーターとして8月からアルバイトをしている。
そこではよく、「社会人として」だとか「常識的に」という言葉を多用する社員がいるのだが、自分の言葉で話せないの?と日々疑問に感じている。
非常に便利な言葉ではあるが、私はこの言葉を多用する人は信用に値しないと思う。
いざという時も、自分の考えをまとめられないだろうなと感じてしまうからだ。
私は今、ありふれた人から見て普通ではない生き方をしていると自覚している。
コロナで不安定な中、安定を捨てて自由を選んだことを家族にも少し馬鹿にされているが、それでもつまらない大人になるよりはるかに賢い選択だと思う。
自分の中になかった新しいなにかを、たくさん開拓していきたい
収入が減っても時間が取れることで、趣味の時間や学びの時間、娯楽の時間と自分の時間が増えてストレスも減った。
最近は音楽を作ることやイラストを描くことにも精を出していて、いろんなコンテストにも挑戦しようと頑張っている。
このエッセイもその1つだ。
結果がどうであっても、「やったことないをやるが大事」をモットーに、自分の中になかった新しいなにかをこれからもたくさん開拓していきたい。
そしていつか、普通に生きていたら見つけられないような新しい発見、アイデアを世に送り出してみせよう。
と、彼女又は彼は拳を高く突き上げるのだった。