私は生粋の三日坊主で、そのくせ何でもやってみたがる節がある。そんな私を皆は口を揃えて「器用貧乏」だと言う。興味を持ってやったことが少し軌道に乗ると飽きて投げてしまうからだ。

そういうわけで薄っぺらい私は人から「趣味はなに?好きなことは?」と聞かれるとしばし戸惑う。絵を描くことも好きだし、映画や音楽、服、山も海も、好きなことなら多岐にわたるのに人に胸を張って好きだと言えることは本当に少ない。

人と語り合うほどの知識は持ち合わせているか、仕事に活かせているか、人生にどれほどの影響を与えているか。そういったことがつい頭をよぎって”好きなこと”に対する敷居が高くなる。

しかし私はブランドに詳しくなくても服は好きだし、食器に詳しくなくても器特集の雑誌を眺めるだけで心が踊る。
人に語れるほどの「何か」は全くないけど、1人で好きなことを楽しむ時間は確かに存在してるのだ。

コーヒーと映画やドラマが好き。趣味に意味を求めすぎなくていい

ネット記事やメディアを通して職人さんやアーティストのインタビューに触れると、この人こそがこれを堂々と好きだと言って良い存在だと感じてしまうことがある。ここに達しない限り、自分の持つ「好き」は甘っちょろすぎて通用しないとさえ思う。

私はコーヒーが好きだ。
浅煎りの酸味がフルーティー…とかではなく、市販の粉をお湯で溶いだけのカフェオレを飲むのが好きだ。サブスクの動画配信で映画やドラマを見たりもする。元々テレビに疎いから芸能人の名前はさっぱりだし、監督が誰と聞かれても知らん。夜のキッチンで照明を暗くして、なんとなく好きなことを楽しむ。これが今の私の趣味である。

些細な好きで満たされた時間は潤っている。年齢を重ねるにつれて、自分が何を求めて、どんな時間を大切にしたいか分かってきた。

世の中では趣味が充実してなければいけないという風潮を感じる。キャンプ、フェス、登山、ファッション、旅行、SNSに載せたり人に話せるような趣味を持たなくちゃいけないのか。趣味ってそんな重たいものだっけ?趣味に意味を求めすぎじゃないか?

私生活を充実させようという世の流れには大いに賛成だけど、趣味が無いと肩を落とす人も珍しくない。こういう人たちは大抵、派手に趣味の旗を掲げてる人達と自分を比べては、自ら影に隠れてしまう。

本当は人に言えなくたって何かしらあるはずだ。スマホゲームでもコンビニスイーツでも、なんだっていいじゃないか。

「好きなこと」に付加価値を付けすぎなくていい

進路選択や就活中の子が「好きなことを将来に繋げたいけど、自分の好きなことってなんだろう」と戸惑う光景は私が学生だった頃から変わりない。

私を含め、あらゆる人が「好きなこと」に付加価値を付けようとしすぎじゃない?

好きなこととは実にシンプルで、自分の内側から生まれる感情そのものだ。ときめきを感じること、興味をひかれること、誰にも内緒でついやってしまうこと。

利益や生産性を意識してしまった途端に生まれる感情は”好き”ではなく”下心”や”向上心”だったりする。
それをグチャグチャかき混ぜちゃうから、やれ何が好きか分からない趣味がないと始まってしまう。

好きなことを通して何者かにならなければいけないと思うあまり、気持ちを置き去りにしているのだろう。

まずは日常の些細なことから自分がどんなことに心が揺れるか思い出してほしい。人に自慢できるものじゃなくても、猛烈に好きじゃなくてもいいのだから、混じり気のないあなただけの”好き”を手放さないで大切にしてあげてほしい。
これが案外きっつーい社会を生きていく上で、いざというときの懐刀になったりするのだ。