笑うときに、口を隠す。それは私の癖だった。
小学校に上がる前くらいのこと。たまに会う母の友人には八重歯があった。私がそれを見て思ったのは、「オオカミみたい」。綺麗な人だったが、笑ったときに見える八重歯はあまりいいと思えなかった。
私にも生えてきた「オオカミみたい」な歯 羨ましがる人もいるけれど
そんなふうに思っていたら数年後、自分にも生えてしまったのである。あの人は右だけだったのに自分は両方だ。人中を中心に唇の裏で控えるさまは、まるで人中様の側近のよう。あの人と違って他のパーツが美しいわけでもないのに、嫌だなぁ。口を大きく開いたときに目立つとわかってから、笑うときは食事中のように手で覆い隠すようになった。ずっと気に病んでしまうほど大きな問題ではないものの、いずれお金が貯まったら矯正するつもりだ。
八重歯をどう感じるかは、人による。
羨ましがられるときもある。けれど最も重要である「自分がどう思うか」は、残念ながら「オオカミみたい」「嫌だなぁ」だった。自分がそうだから、ではなく元々他人に対しても、八重歯に対する私の感覚はマイナスだった。
愛の告白さながらの言葉をもらったあの夜、私は口を隠さなかった
その日は、大学の友人である愛子(仮名)と宅飲みをしていた。
「よく口隠すよね、八重歯気にしてるん?」
唐突に言われた。普段はもっと柔らかな人なのだが、お酒が入っていたこともありオブラートがどこかに吹っ飛んでいた。あまりの直球さに思わずレモンサワーを吹き出しそうになる。
けれど、それがよかった。相手に気を遣わせるからあまりコンプレックスについて話さないのだが、そのときはすんなりことばが出てきた。
「うん。あんまり好きじゃない、八重歯」
「ふーん、かわいいのに。隠さんでいいよ」
なんとなく照れてしまって、なに急に、とはぐらかしてしまった。しかし愛子はお構いなしに続ける。
「え~かわいいよ? 嘘じゃない。あんたの口の形好きだよ、ずっと見ちゃう」
愛の告白さながらの台詞に、数秒の沈黙をおいて二人で爆笑する。声を上げて笑いながら、冷えきった両手をストーブにあてたときのように、心にじわじわとあたたかさが沁み込んでいくのを感じた。愛子はいつもお世辞を言わない。さっきなんて堂々と、太った? と言われたぐらいだ。だからこそ、愛子の言う「かわいい」は信じられた。この子は私の八重歯をかわいいと思ってくれている。じゃあ、隠さなくてもいっか。
その晩、私が口を隠すことはなかった。
コンプレックスって、きっとそんなに簡単な問題じゃない。でもね、
愛子が褒めてくれたからと言って、この八重歯を大好きになるわけではないし、すぐに癖は抜けない。お金が貯まったら矯正したいという気持ちも変わらずにある。コンプレックスって、きっとそんなに簡単な問題じゃない。
しかし何も気にせず笑えたあのひと晩は、とても気持ちが晴れやかだった。
愛子の台詞から学んだことがある。
誰かの素敵だと思うところは、どんどん口にしていこう。
外見でも、性格でも、なんてことない所作でもいい。その人を見て「いいな」と思ったときは、後回しにせずそのまま伝えようと思った。それによって相手のコンプレックスを刺激する可能性もゼロではないのだけど、少なくとも私は、愛子がプロ野球選手もびっくりなほどのド直球で言ってくれたからこそ、大口を開けて笑えた。
「素敵だよ」と思いを伝える そのとき、重要な言葉
あなたは嫌なのかもしれないけれど、私は、素敵だなと思っているよ。
変化球など使わず、ストレートに。あくまでも、「私は」。
目の前にいる相手が自分のコンプレックスをどう思っているかわかるというのは、予想以上に心がほぐれるのだと、私は愛子に教えてもらった。
人にどう言われようと「自分が嫌」だからコンプレックスなのだ。
でもそれを本心で素敵だと思ってくれている人の前でくらい、コンプレックスなんて気にせずありのままでいたい。一緒にいる相手にもそうあってほしい。そのために、思ったことをそのとき素直に褒めて、あたたかい空間をつくっていこうと思う。愛子と一緒に口を大きく開けて爆笑した、あの夜のように。