あと1か月で、30歳になる。

成人してから10年も経つんだな。精神的には、あまり成長できていないような気がするものの、見た目はしっかり10年分の歳をとった。

それでもわたしは、今の自分の顔がこれまでの人生の中で、いちばん好きだ。

矯正をあのとき始めていれば……と、あと何回後悔したらいいのだろう

年齢に抗えないことは多い。睡眠時間をちょっと削るだけで肌の色はくすむし、すぐクマができる。20代前半の頃は、オールでカラオケをしないと見ることのなかった自分の疲れた顔を、今ではそこそこ日常的に見ることができる。過去の自分の写真と今の顔を見比べると、多少なりとも重力と摩擦の積み重ねを感じる。それでも、自分の顔が好きだと思えるのは、“思いっきり笑えるようになったから”だ。

26歳、社会人4年目の春に歯列矯正を受けることを決めた。前歯が出ていることが、思春期からのコンプレックスだった。高校生の頃の写真を見返すと、ほとんど口を開けて笑っていない。感情表現がもともと薄めなこともあって、ほんのり微笑んでいる写真ばかり。

それでも口さえ閉じていれば、そんなに違和感はないなとか、全体の並び方は綺麗だしなとか、自分に言い聞かせるように理由を並べ立てて数年間、目を逸らしてきた。金銭面やメンテナンスで不安があり、なかなか踏み出せなかったのだ。でも、ときどき矯正について調べることは、やめられなかった。

矯正について思いを巡らせていた何度目かの日、ふと思った。「社会人になってすぐ、ローンを組んででも矯正を始めていればよかったな。そしたら今頃終わっていたかもしれないのに」

そして気づいた。また3年後くらいに思うのかもしれない。「あのとき始めていれば」と。あと何回、そうやって後悔したらいいのだろう。矯正が本当にできないという年齢になってやっと、諦められるのだろうか。あと何年? いや、まだ何十年もあるんじゃないの?

過去の自分に、責任を押し付けつづける人でいたくなかった。何より、自分の顔に“後悔”を感じたくなかった。

大したことではないかもしれないけど、あのとき「行動」してよかった

「歯列矯正をやろう」と、思い立ってからの行動は早かった。通いやすいところで、評判の良い歯医者を見つけた。最終的にかかる費用が明瞭なプランがあり、大金ではあったが安心して申し込めた。

とはいえ、働きながら歯医者にこまめに通うのはとても大変で、平日は仕事があって無理、土曜日は予約が混んでいる、日曜日は定休日……そんな状況の中で親知らずを抜く、型をとるなどたくさんのステップをちまちまとこなし、矯正をスタートできたのはその年の秋。27歳になる数ヶ月前のことだった。

あれから約3年。途中で少しサボってしまったり、思い通りに歯が動かなかったりと、すべて順調とは言い切れない矯正ライフを送ってきた。それでも、3年も続けていれば変化はあるもので、ずいぶんすっきりした口元になったのではないかと思う。

おそらく、他人から見たらそんなに変化はわからないだろう。矯正を始めたときでさえ「なんで矯正するの?」「する必要ないよ?」とよく言われた。だから、わたしが3年間100万円をかけて得たものは、大したことのないように見えるかもしれない。

でも、ここ1年くらい。写真を撮るとき、口を開けて笑えるようになった。笑うときに口を隠す癖も回数が減った。他人からの視線はどうあれ、自分が大丈夫と思えたから。自分が行動を起こして積み上げたことが、形になっていると思えたから。心ゆくままに笑えるようになって、自分の顔が前よりも好きだと思えるようになった。あのとき一歩踏み出して、ほんとうによかった。

30歳を迎えるわたしの笑顔は、26歳の自分がくれた最高の贈り物

あと1か月で、30歳になる。これから、もっとシワやくすみが気になっていくだろうし、それを良いものと思えるほどには悟れていない。まだまだ抗えるなら抗いたい。

でも、わたしには26歳の春の自分が、今の自分にくれた“笑顔”があるのだ。過去の写真の中のわたしは、静かに微笑んでいる。ときどき真顔でさえある。でも今、そして30代を迎えたあとに撮っていく写真は、自分の心が感じたように笑えているはず。それは、なによりも嬉しいことで、そんな嬉しいことの前には、きっとクマも疲れもどこかにいってしまうだろう。

自分の顔を好きでいつづけるために、思いっきり笑いつづける。そんなやわらかな決意も込めて。