私の人生で最大瞬間風速が吹いたのは、小学校5年生の頃。
同級生たちから、まるで挨拶のように「かわいいね」と声をかけられていた時期がある。

だけどこの「かわいいね」にはトゲが隠れていることを知っていた。
私にとってこの言葉は決して受け取ってはいけない、魔のギフトだった。
「ありがとう」なんてうっかり言ってしまったら最後、ナルシストだの、自信過剰だのなんだの、陰口を叩かれ傷つくことになるからだ。

容姿を褒めてもらったときの模範解答について、一人でよく検討していた。
首をぶんぶんと横にふり「そんなことない」と否定するだけでは、相手が納得しない。

やがて「“あなたの目は、鶏みたい”ってお母さんに言われてるの。」「ほら、ここ。こんなにエラがはってるんだよ。」と、自らコンプレックスをさらけ出す作戦が有効だと悟る。

そうすると相手の表情がいくらか和らぐような気がして、距離が少し縮まるような気がして、安心できるのだった。
「よかった。上手に切り抜けられた。」そんなふうに思い、そっと胸をなでおろした。

ほの淡い恋心より、ただともだちが欲しくて

当時の私は転校生だった。
ある日突然登場した人物として一斉に周りの注目を集めたのも、その後に続く葛藤の大きな要因だろう。

新生活が始まってから数カ月経ったころ、無遠慮な視線、知らぬ間に抱かれる敵意、根も葉もない噂話、一向に埋まらない友人との距離に、私はだんだんと疲弊していくことになる。

私はただ、ともだちが欲しい。
私といっしょに遊んで楽しいって思ってくれるともだちが欲しい。
それだけだった。

ちょうど異性を意識する、多感な年ごろに差し掛かった時期でもあった。
「〇〇くんが、〇〇ちゃんのこと好きなんだって。」
「〇〇くんが喜ぶからいっしょにきて。」
「〇〇ちゃんってほんとモテるよね~。」

そんな話を聞くたびに嫌気がさし、しげしげと友人の顔を眺めては「私を私として受け入れてくれない」と思った。

誰もいなくなった更衣室で「ねえ、〇〇ちゃんの好きな人ってだれ?友達なんだから教えてよ。」と二人から迫られ、そっとしておいてほしいという気持ちを押し殺して答えたこともあった。

内緒にするという約束だったけど、瞬く間に広がったことは言うまでもない。

ほんのり淡い恋心は、友達でいさせてもらうことと引き換えに砕け散った。
だけど、仲間外れにされたくない一心で自分を差し出してしまったのは、ほかでもない私だった。

容姿ばかり取りざたされ、批判を投げつけられる日々

あの頃は誰かに「ここにいていいよ。」と言って欲しかった。
居場所なんてちっとも見つからなかった。
探られるような目を向けられるのは、苦しかった。

私は私なのに、どうして容姿を絡めてしか見てもらえないのかと憤りを感じ、なるべく目立たないように気を使った。

「ぶりっこしてる」
「色目を使った」
という言葉もさんざん浴びせられた。

声を発するたび、立ちあがるたび、笑うたび、いちいち監視されているようで、批判の対象にされそうで何もかも疑心暗鬼になる。

うるさい!
うるさい、うるさい、うるさい!

私は一体、どうしたらいいのよ!
わからないのよ!
好きなようにさせてよ!

ずっとこらえてきたけれど、一度くらいぶちまけてみてもよかったかもしれない。

やっと今の自分を見た目ごと好きになれた

やがて中学、高校へと進学するにつれ、小柄だった私はぐんぐん大きくなり、最終的に170㎝近くまで成長した。
小学生の頃からの同級生は「私より小さかったのに!」と口をそろえて言い、見上げて笑った。

その笑顔に心底ほっとする。
やっと打ち解けてもらえたような気がしたからだ。

今になってふり返ってみると、友人たちの私に対する思いははじめからさして変わらなかったのかもしれない。
ただ、あのときの私は疲弊していて、彼女たちのことを信じられなかった。
自分の方から距離を置いていたこともあったのではないかとも思う。

年齢を重ねるにつれ可憐さ?はすっかり消え失せ、私は早くもモテ人生に終止符を打った。
たった2~3年のことだったが、何とも不思議な立ち位置を経験したものである。

今だってもちろん、おしゃれな服をきたいとか、お化粧のノリがいいと気分が上がるとか、こんな髪形にしたいとか。容姿には人並みに気を配っているつもりだ。

自己満足ってことはわかっているのだけど、それが楽しい今なのだ。
誰かから視線を送られることもない。

平和だ。
鏡にうつる自分を見て、にこっと笑う。
「私ったら、今日もかわいいね!」とつぶやいてみる。

私は今の自分に満足している。