私は俗に言う「ぽっちゃり」だ。ぽっちゃりだと、体のどこにでも脂肪がついていて、もれなく胸にもお腹にもついている。

第二次性徴期が早かった私は学年で最初にブラジャーを着け始めた。物珍しそうに下着を見られる、体育の授業や着替えの時間が嫌だった。(大してない)胸を誇示したい訳でも、か弱い女の子として扱って欲しい訳でもない。

隠したくて着けたのに余計目立ってしまう矛盾。

高学年になり、筋肉質ではない胸は、徐々に動くと揺れるようになった。体育の授業では走るのが遅い人を終わったみんなが応援する。視線が集まるなか、息が苦しいことより胸を腕で押さえるのに必死だった。

私が通った中学の夏服はよりによって襟口が広く、男子の視線、道ですれ違う男の人の視線が気になるようになった。

胸を張らない、胸元に視線がいく服は着ない、(谷間を強調するから)斜め掛けバックは使わない、走る部活には入らない、そうやってどんなに隠そうとしても、ふとした瞬間、見られていることに気づく。

視線という棘が胸に刺さる度にどうしても嫌な気持ちになる

好きだった相手。話しているその一瞬、悪気はないのだろう、思わず胸に視線が向いている事に気づいてしまった。この人が見ているのは、「私」じゃなくて「女」なのかも、そう思った。

大学生の私は、程々にボーイッシュで体のラインが目立たない服を着て、運動をする時はバストバンドを欠かさない。化粧は控えめ、隙のない、女を武器に媚を売らない堅い女であろうとしている。

ここに至るまでに何人かとお付き合いもした。無意識の刷り込みなのか、選んだ相手は皆奥手で、間違っても「何カップ?」なんて訊いてきたりしなかった。

ふざけて触ってもいいよと言った私に、「もっと大事にしろ、そういうこと言うな」と言ってくれた人がいたのを思い出す(彼と結婚出来る人は幸せだ、きっと)。

それでも私に「(胸に)何か入れてるの?」と訊いてきたバイトのおじさん、プールでじろじろと見つめてくる子連れのお父さん、電車で痴漢スレスレの事をしてきたサラリーマン、数えるのも馬鹿らしいほどの棘が私の胸に刺さっているのもまた、事実である。


自分という存在を胸ありきで語られたくない。胸をめぐって揺れる心

違う体型になりたいわけではない。けど、自分の意図に反して"性的な目"で見られることがどうしても嫌だ。優しい言葉をかけられてもそれが本心なのか体目的か分からないことが嫌だ。自分という存在を胸ありきで語られることも嫌だ。

揺れることを気にして好きな服も行動も我慢しなければいけない人生が、嫌だ。

グラマラスな人を見ると「わあ、艶やかだな」と思う気持ちも分かるし、胸じゃなくて私を見てほしいと思うのは、女としてどうなのかと思う時もある。どうしても好きな人ができたら、この胸をバンバン揺らして(?)でも捕まえたくなるのだろうか。

大してない(本当に大してない。ただ柔いだけ)のに揺れる胸と、胸についての気持ちが定まらず揺れる心。どうしたらいいのか誰か示してくれたらな、なんて考える私であった。