大学生の時、絶対評価と相対評価という言葉を知った。
絶対評価は特定の基準に基づいた評価方法で、相対評価は他者との比較において決められる評価方法だ。
この時私は今まで自分を苦しめていたものは相対評価だと気がついた。

見た目は唯一の長所と考えた私は、高校卒業を機に目を二重に変えた

顔がよく似た姉がいて、同い年の妹もいた私は、小さい頃からよく比べられていた。
姉に、妹に負けるなと。

勉強も運動も得意ではない私はいつも一番後ろにいた。
三人でお揃いの洋服を着させられた時、私は赤やピンクではなくいつも水色だった。
心のどこかで"勝てない"を自覚していた。

周りの大人の言う事に呆れながらも自分が一番比べていたのかも知れない。

そんな三人の中で私が唯一褒められたのが体型だった。
身長もあり、いくら食べても細い私はそこだけとにかく褒められた。
会う度周りの大人は言う。よく食べる姿が可愛い、なのに細いねと。

幼い私は自分の唯一の長所はここかもしれない、ときっと思っていた。

褒められる見た目に執着した私は、高校卒業を機に目を二重にした。
はじめての手術は怖くて痛くて、終わった後に泣きながら姉に電話をしたのをよく覚えている。
それでも後悔をした事は一度もなかった。

繰り返す手術は私を”可愛い”の土俵に上げ、人生を楽しくさせた

大学に入学してすぐ、周りからの扱いが大きく変わった事に気がついた。
目の上に線があるかないかでこの世界の見え方は全てが違っていた。
他の箇所をいじる事に自然と抵抗はなくなった。
自分の写真を撮るたびに、芸能人を見るたびに、ここがもっとこうだったらいいのにといくつものシミュレーションと手術を繰り返す。

はじめは人にバレないようにを心掛けていた。
途中からは"メイク変えた?"という遠回しな指摘も気にしなくなった。
この時の私は一体何のために手術を繰り返していたのか、今でも分からない。

繰り返しても満足しない容姿に、自己満足はどこまで続くのかと己が怖くなった。
いつからか人に言われる"可愛い"の言葉が信じられなくなっていた。

大学在学中に輪郭の整形手術をした。
今までやってきた中でも最も大変で辛くて、でも変化の大きいものだった。
全身麻酔で行われたそれは術後大きく腫れ上がり、一年近く神経が元に戻らず顎の部分の感覚がなかった。
はじめて整形で死を覚悟させられた。

それでも得られるものは大きく、今までで一番満足した手術となった。
ここから自分の思う可愛いの土俵に立てた私は"整形の終わり"が見えたような気持ちで、途端に人生が楽しく思えた。

やっと自分を絶対評価してあげられるような気がして、ホッとしたのをよく覚えている。
この後鼻をやって、目を少しやったら終わりにしよう、整形なんてしてませんって顔で生きていこうと気持ちは前向きになった。

ルッキズムに振り回されているのに抵抗できず、モヤモヤが続いている

しかし、それらは就職の為出来ずに終わった。

不完全燃焼だったが、それでも可愛いには入れた私が就職した会社は、同期が男女合わせて100人ほどいた。
その同期の女の子は、殆ど全員が可愛いの土俵に立っていた。

自分がやっとの思いで必死に立った可愛いの土俵に、何十人もとっくに立っていたのだ。
ただただ不安に駆られていたのをよく覚えている。

同期の中でも一際可愛い子がいた。
私があれだけ欲しかった鼻と目を持った子だった。

大人数の飲み会の時に彼女と席が隣になった。
近くで見る彼女はやはりとても可愛くて、隣にいるのが凄く嫌だった。
正面に座っていた男の同期が彼女に"可愛い"と言った。
彼女が褒められれば褒められるほど、私はまだその土俵に立てていないと苦しめられた。
彼女への称賛の声は、私への罵倒の声に聞こえた。

彼に悪気はなかったと思う。
そんな風に考える、私が悪い。

あれから同期との飲み会には行っていない。

私は最近ルッキズムという言葉を知った。
外見至上主義を指す差別用語だ。

ルッキズムされている自分にも、している自分にもうんざりとしている。
メディアのせい、SNSのせい、親のせい。
周りのさまざまな要素が私をそうさせた。
でも、それに抵抗しなかったのも私だった。

相対評価も、ルッキズムもない世界で生きてみたい。
"人は外見じゃなくて中身だ"と心から言ってみたい。

何が私をこんなに苦しめているのか見えているのに、それに抵抗できないもどかしさが募る。

これからも私は整形を続けるのか、鏡を見つめた時のモヤモヤも続くのか。

正解はまだない。