私の母と祖母はしょっちゅう喧嘩をしている。
幼いころはそれがものすごく恥ずかしい事であったし、今もなかなか人には言えない。

母も祖母も、お互いに嫌っているわけではない。二人で仲良く買い物に行ったりもするし、話をしたりもする。悩みを相談しあったりもしている。

しかし、定期的に、それも結構な頻度で(1か月に1回はある)大喧嘩をする。そして、ものすごく罵り合う。私が幼いころの記憶を遡っても、この喧嘩はたびたびあった。

幼いころはなんでこんなにも言い合っているのかが分からなかった。どうしたらいいのか、なんて言ったらこの喧嘩が収まるのかがわからず、二人に対して、またそれをどうにもできない自分や私の父、祖父、また、度々喧嘩の原因になっていた母の妹に、腹が立って仕方なかった。

最近、やっと、この喧嘩の意味や、これがいつまでも続く理由の一つがわかってきたので、ここに記しておきたいと思う。

嫁として苦労してきた母、両親と暮らし働き続けた祖母

まず、どうしてこの喧嘩が起こるのか。その理由の一つに、母と祖母の価値観が全くもって違うことが挙げられる。

母は、20代前半に大きな農家の家の長男と結婚し、そこで嫁として家政婦同然の扱いを受けた。そこで、たいていの家事をすばやくやることや、料理をおいしく作ること、家族みんなが生活に困らないように気配りをすることを、否応なしに身に付けたのだ。身に付けるしかなかったと思う。
一つ、考えられない話として、ここに記したいのは、当時25歳の母は、三回忌に集まった、親戚の法事の料理を一人で考えて作ったらしい。本家は本当に大きな家で、親戚が集まると、50人を超える。その人々に出す料理を一人で作ったなんて今のわたしには考えられないし、許せない。
このような環境の中、20年近く過ごしていた母は、子どもにはこのような経験をさせないという信念を持ち続けているらしいが、それについては別の所で書くとして、とにかく家事や子育てをする能力が格段に上がった。

一方、祖母は、母を「大人数の家に嫁に行くなら、人手がたくさんあるから楽になるよ」と言って母を送り出したような人だ。嫁姑の実態をわかっていない。
それに、子どもが幼いうちから朝からフルタイムで働くことをつづけてきた。自分の実家で自分の両親と共に住んでいたからできた事であろう。働くことが好きであった祖母は、70代の現在も、働く機会があれば働きたいと、広報の求人を見るのを楽しみのひとつにしている。

お互いに苦労を分かり合えなければ、現状は良くならない

母は、自分のした苦労をわかってほしくて、それを訴え続ける。祖母はいつまでもその苦労が分からず、なんなら、働いていないから楽であったと言ってしまう。
また、母の妹は、子どもがおらず、フルタイムで働き、お金を払って家事を祖母にやってもらっている。これではいつまでもだれも分かり合えないし、苦労をした人損の世界になってしまう。

女性の社会進出がいくら謳われても、今を生きている人間が「嫁」に家事を押し付けたり、「妻」の境遇を理解し、救ってあげたり、「娘」にこのような現状を教えてあげる、または「娘」の苦労をわかってあげることをしなければ、現状は良くはならないだろう。そして、良くない現状を生きた人々は「姑」のように後世にまた繰り返す場合があるし、「母」のように誰かと一生分かり合えない喧嘩をする場合がある。負のスパイラルだ。

原理がわかっているから、負のスパイラルに迷い込みたくない

わたしは、この事を考えるたびに、また、母や祖母が喧嘩するたびに両者から相談されるたびに気持ちが沈むことがあった。それは、抜け出せないスパイラルの中に自分も迷い込んだ気になっていたからだ。でも今は違う。自分はこの原理がわかっていて、どうしたら、そのスパイラルに迷い込まないかがわかっていると感じるからだ。

まだまだ、分かっていないことだらけではあると思うが、その中の一つ、なにかが腑に落ちるだけで格段に気持ちが明るくなった。
この投稿が、スパイラルに迷い込んだ誰かの手助けになればと願いながら稿を閉じる。