コインランドリーからの帰り道はとても寒く、徒歩3分とはいえしっかりと暖かい上着を着てくるべきだったと後悔した。
あまりの空気の冷たさに、私は道を走り出した。夜中ほとんど車が通らない道路の、ど真ん中を気持ちよく。
ドラム型のランドリーバッグの取手を、彼と一つずつ持っていたので、彼も走らなくてはならなくなった。

彼と走ると、ポカポカしてくる

「えっ走るの?」
「寒いんだから!はやく、はやく!」
呼吸するたび鼻を刺すような冷気が、だんだんとポカポカしてくるのを感じながら、クリーム色のアパートを目指した。
乾燥機から出したての、自分のものではないニットやパンツを畳んでいると、自分の毎日にゆるやかに組み込まれた彼の輪郭がよりはっきりする。
彼に私の下着を畳ませないように少し気を配りながら、頻度が上がったコインランドリーの、効率の良い使い方を考える。

彼を好きだ、とわかったのは、一緒に本を読みに行った日の夜だった。
渋谷にある本棚に囲まれたバーは、静かで、期待した通りの柔らかな空間だった。
寝転がってしまえるようなソファーの席に通されて、お酒と、少しの食事を頼んだきり、私たちはほぼ何も喋らずに過ごした。
まるで家かのようにだらしない姿勢で本を読み、時々お酒に口をつけ、フォークの音を鳴らしながら、
「セロリが、美味しい」
と言ったと思ったら、各々好きなタイミングで本棚を物色しに行ったりした。

彼と一緒に過ごすことはとても普通なことみたいだと思った

あっという間に、4時間くらいが経っていた。
帰りの電車で彼が先に降り、自分の最寄駅に着くまでの間、「次はいつかな」なんて考えていた。
それまでなんとも思っていなかった彼と、静かな時間を一緒に過ごしたことで、急に距離が縮まったように感じたみたいだ。
彼と一緒に過ごすことはとても普通なことみたいだと思った。
ほとんど喋らなかったことが、よかった。
晴れて交際が始まった時も、驚きと高揚感よりは、「うん、それがいい」という感覚だった。
ゆっくり頷いて、賛成するみたいな。

ピンポーン。
と音が鳴って玄関を開くと、セロリを持っている彼が立っていた。
一緒に本を読んだ夜に、私がセロリを好きだと言ったことを、覚えてくれている。
セロリを生身で持って立っている姿はなんだか面白くて、出迎えた私は笑ってしまった。
「セロリって何を作ればいいかな。浅漬けにする?」

彼がセロリの調理方法を調べている間、私は部屋に増えた本やレコード、調理器具と食材、彼のワックスや化粧水を見渡してみる。
他人のものが増えたというよりは、もともとこの部屋にあったみたいだった。
セロリはスープになることが決定したらしく、「作るから応援してて〜。」という声が聞こえた。

彼がキッチンでセロリを切っているのも、最初からそうだったみたいだった

彼がこの部屋に帰ってくることも、キッチンでセロリを切っていることも、ベージュのヨギボーにもたれて本を読んでいることも、最初からそうだったみたいに普通だ。
彼に髪を乾かしてもらうことも、キスを交わすことも、同じベッドでくっついて眠ることも、はじめからわかっていたことみたいに当たり前だ。

グラデーションのように私の中に優しく現れてくれた彼は、だけど確実に私の毎日を何倍も楽しくしてくれている。

「ふふっ」
電気を消した部屋に、突然彼の笑い声が響いた。
「なに、どうしたの?」
「いや、寒いからって、走るんやなあ、と思って」
コインランドリーの帰り道を思い出して、私の幼い行動に笑ったようだった。
クツクツと、喉だけでまだ笑っている。
「30歳とか、何歳になっても、寒い〜って言いながら走ったりしようね」
と彼が言うのを聞きながら、私は彼に背を向けるように寝返りをうった。
後ろから彼が髪を撫でてくれたのだけれど、それもずっと前から決まっていたことみたいに、やっぱり自然で、普通だった。

明日からも私たちは一緒だ、とわかった。