はっきりと引かれたそれぞれの境界線は、プレッシャーでしかなかった
「学校に行く」ということ。それはあたかもふつうの話の様に聞こえるが、14歳の頃の私にはどうしてもプレッシャーでしかなかった。
最初はほんの少しの違和感だった。「何で先生達はこんなに校則を厳しくするんだろう。」「何で女の子達はグループになって派閥を作るんだろう。」
私が電車で通っていた中学校は『靴下の色は絶対紺色、前髪は眉上か横に流してピンで止める、髪が肩につくのなら切るか結ぶ、スカートの丈は膝が隠れるくらい』と見た目に関するものが特に厳しく、違反した場合は反省文100枚が課された。
また、クラスメイトの女の子達は4~5つのグループに分かれ、各々の間にはハッキリと分かる境界線が引かれていた。
一番衝撃的だった悪口がある。いわゆる一軍グループが「あいつら、ブラも付けてない。生理も来てないんだろうね」と言い、あるグループの女の子達を影でクスクス笑っていた。
均一化を望んで「ふつう」を指定する先生。自分達の「ふつう」に達しない人を見下すクラスメイト。まるで皆、「ふつう」が一番、最適で最善だと信じているようだった。私はいつからかその「ふつう」にあぶれないよう必死に過ごす毎日を苦痛に感じ、それから少しずつ、教室から足が遠のいて行った。
引きこもりと化し、めでたく「ふつう」では無くなった私と、その代償
14歳の時には完全な引きこもりと化した。過度のプレッシャーから精神の調子を崩した私は、日中起きていられなかったり、「死にたい」という気持ちに駆られたりして、もはや完璧に「ふつう」ではなかった。
「学校は忍耐力や他人と協力することを学ぶ場所である。」
これは私をどうにか教室に連れ戻そうと説得に来た担任の教師に言われた言葉だが、自分を殺してまでふつうを手にしたり、他人のふつうに合わせたりすることが本当に必要なのか?と私は訝しい気持ちになった。「そうだとしてもやっぱり私は学校に行きたくないです。」そう告げた私の意思は固かった。
しかし、自ら「ふつうでなくなる」ということにはそれなりの代償があった。義務教育の段階で社会から離脱してしまうということは、将来の可能性が大きく狭まるのだということを意味する。つまり中卒があり付ける職なんて限られているし、今の時代高卒だとしても、被雇用主で働く場合、大卒と収入に大きな差が出る。
かの有名な『耳をすませば』という映画にこんな台詞がある。
『人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。 何が起きても誰のせいにも出来ないからね。』
これは高校受験をそっちのけで、本気で小説を書くことを望んだ主人公・雫に対して雫の父が言い放った言葉だ。
全くその通りある。私は「ふつう」でないことを選び、心身の休息を得た。しかし代わりに、皆がふつうに享受する可能性の数々を私は掴みさえ出来ないかもしれない、という危機がそこにはあった。そう思うと、焦燥感がじわじわと私を蝕み、暗く嫌な気持ちになった。
せめて高校、いや大学まで行こう。勉強しよう。そう決意して、私は自分の部屋で勉強を再開したのだった。
ふつうでなければ不幸なわけはなく、境界線なんて非常に曖昧なもの
無事に大学まで進学した私は、大学の自由度の高さに驚いた。皆好きな洋服を身に纏い、好きな色に髪を染め、好きなことに熱中していた。さらに私が仲良くなった人たちは、思いつくまま休学してアフリカで旅をしていたし、パッと退学して会社を設立したりしていた。
「ふつう」とは何か?それは「マジョリティであること」だと私は解する。
私は上記に『「ふつう」でなくなった』と書いたけれど、つまりこれは「マジョリティでなくなった」だけである。
そもそもそのマジョリティとマイノリティの境界線なんて非常に曖昧で、誰が決めたものではないし、別の角度から見ればマジョリティだったものが実はマイノリティだった、なんてことがある。さらにマジョリティであることは、私たちに安心感をもたらしてくれることはあるが、幸福は約束してはくれない。
休学した彼女も、退学した彼も、いわゆるマジョリティでは無かったけれど、私たちは幸福だった。何故なら私達は自分が選んだその道に、自分の夢や希望を見つけたからだ。
世間が言う「ふつう」なんて言葉はもはやマヤカシで、それを気にして選ばない選択肢があるのは勿体無い。私はこれからも、私が私らしくいられるように、「ふつう」を越えて行く。