率直に言って、今まで「これだ!」と思えるデザインの下着に巡りあったことがない。
私は体の性も心の性も女性として生きている人間だけど、女性用ランジェリーというものにそこはかとない嫌悪を抱いてきた。
というのも私は昔から、女性らしさの象徴とされてきた「レース」「フリル」「淡い色」が大の苦手で、子供の頃からそういうものを敬遠してきたために、キュートできらびやかで華やかなランジェリーばかりの下着全体が苦手になってしまった。
(誤解の無いように。フェミニンな嗜好を否定するつもりはなく、私自身が苦手というだけ)
Googleでもなんでもいい、一度「レディース 下着」で検索すればもう悲しいくらい
「レース」「フリル」「淡い色」の天国(私には地獄)が広がっている。
父親に植え付けられたミソジニー 機能性よりプライドを選んだ
なぜこれらの要素が苦手なのかはわからない。
昔から少年漫画を嗜み、アクション映画を見て、ショートヘアで暴れまわっていた、そういう子供だった。ついでに父娘家庭だったことも関係してるのかも。
おかげで「男の子みたいだね」だの何だの言われてきたけど
だからなんだというのか、それでも私は「女」だし、自分の欲しいものを選びたい。
話は変わるけれど、幼少期の私の「女性らしさ」への嫌悪は凄まじかった。
保育園時代から一人称を「俺」とし(小学生になる頃にはウチになってたけど)、胸がふくらみはじめた頃に買ってもらったカップ付きキャミソールは、胸の形が浮き出るのがどうしても気に入らなくてパッドを外した。中学生で買った初ブラジャーも同様。
自分が女であることを意識したくなかったし、機能性よりプライドを選んだ。
これは、父親から受け継いだミソジニーだったんだろうと今なら分かる。
思い出すのも辛いことだが、私の親は親戚(既婚男性)に可愛がられる当時10歳の私に向かって、半笑いで「襲われんなよ」と言ってのける男だった。
私の大好きな母にDVをして逃げられた後、「育児を押し付けて逃げるような、あんな女にはなるな」と私に釘を刺した。
そういう人間の元で育った結果芽生えたものが、「女になりたくない」という抵抗だったのかもしれない。
ミソジニストからフェミニストへ 親元を離れて価値観が広がった
それからいくらか大きくなって、親元を離れ一人暮らしをはじめ、
ようやく自分の欲しいモノがわかってきた。
今まではただ与えられるものを身に付けるだけ、女性らしくないものを選ぶだけで、「好き」ではなかったように思う。
でもある程度好きに使えるお金が手元にあり、都会ということでたくさんのショッピングモールが並ぶそこに何度か立ち寄るうちに、
少しずつ「あ、これ可愛い」「これおしゃれだし欲しいな」と考えるようになった。
相変わらずレース、フリル、淡い色は好きになれなかったけど、これはもう生きてきた環境によるものだからしょうがない。
その代わり、スポーティでセクシーなデザインに強く惹かれることに気づいた。
だからいま、クローゼットは好きな洋服で溢れかえっている。幸せ。
同時に、女性らしさへの嫌悪も薄れていき、今はフェミニストを名乗っている。
それは自分の好きなものを選ぶ私を、「女性」だと肯定できるようになったからだと思う。
女性もこういう服を着ていいんだ、女性のものなのにこんなデザインの服があるんだ、そういう価値観との出会いによって、この数年で私は少しずつ進化できた。
好きなものを選択することは自己肯定だ だからこそ下着がネック
洋服だけじゃなく、最近は生理用品もシンプルなデザインのものがようやく発売されて、モヤモヤから解放されて尚更自由を感じている。
だからこそ、だからこそ下着だけがネック。
私は私の好きなものを選んで自分を肯定してきたからこそ、肌に一番近い部分に身に付けるものが苦手なデザインしかないことに苦痛を感じる。
スポーツブラで対処すればいいじゃんとかそういう話ではない、選択肢のなさを嘆いてる。
しっかりワイヤーの入った、クールでイケてるデザインのパッド付きのブラが欲しい。
ついでにA75サイズで。
でも、そういうものはどこの通販サイトを探しても見つからない。あっても給料の少ない女が気軽に出せる値段ではなかったりする。
お気に入りのブラ&ショーツが見つからないから、私の下着はいつだって間に合わせだし、友達の下着自慢を羨ましく思う。
いつまで経っても自分の下着に自信がもてない。
生理用品にも言えたことだが、女性のためのものなのに女性の選択肢が少ないというのはどういうことだろう。
私のような声はそんなに少ないのか、業界にその声を聞き入れる気がないのか。
どちらにせよ「無視されてる」と感じることに変わりはない。
私が自分を肯定するために、世間の女性が選択肢を得るために、一刻も早くカッチョよくて手に取りやすい価格の下着が出てくれることを願う。