ゆっくりと回る木製のシーリングファンを眺めていた。店内の有線からはかすかに外国人歌手の歌声が聞こえる。私の頭はタオルに包まれ、ほのかにローズの香りが漂っていた。穏やかな午前中のサロンの椅子にもたれながら、私はぼんやり考えていた。仕事場での失敗のこと、理不尽に怒られたこと、亡くなってしまった患者さんのこと。
なんとなく、研修医は地味髪であるべき、という空気が蔓延していた
社会人一年目は例年と大きく異なった様子で滑り出した。コロナのせいである。
職場はいわゆる大学病院というところで、私は研修医として毎日慣れない業務に追われていた。コロナが全国的に流行している中、医療従事者はマスクはもちろん、少しでも風邪症状のある患者を診察する場合は、医療用の帽子を被る必要があった。色付きのシャワーキャップみたいなダサい帽子の中に髪の毛を全て入れ込む。
一度着ればなかなか脱ぐことはできないから、頭皮は蒸れるし、おでこにはゴムの痕がついてしまう。メイクはすぐに落ちてしまうし、直す時間も手間も惜しかったので初日に諦めた。病院の中にヒエラルキーがあるとしたら、トップは間違いなく看護師長さん。その下に看護師と医者がいて、一番下に研修医がやっと入ってくる。
女医さんや看護師さんは綺麗に髪を染めて、ストーンやチャームのついたヘアゴムを使っている。どこにそんな凝ったアレンジをする時間があるんだろうと思うくらい綺麗に髪まとめている人もいる。私といえば、ヒエラルキーの底辺にいたので、髪色はもちろん黒だったし、輝くストーンもつけられずに、校則の厳しい高校生がつけるような紺色の髪ゴムを毎日使っていた。なんとなく、研修医は地味髪であるべき、という空気が蔓延していた。
ある日の勤務終了後、私は更衣室で髪をほどいた。その日は1人の患者の死に立ち会った日で、無力感と疲労感で埋め尽くされていた。肩の下に広がった髪は乾燥していて、一日中結んでいた跡が不恰好についてしまっていた。よくよく見ると毛先の痛みもひどかった。学生時代はヘアアレンジも好きだったし、カラーもよく入れていたのに、なんで今まで髪のことをこんなに忘れて、おろそかにしてしまっていたんだろうと愕然とした。毎朝、起き抜けのまま無理やりゴムで一括りにしていた髪に謝りつつ、久しく開いていなかったヘアサロンの予約アプリを起動する。給料も入ったことだし、とすこしだけ良いヘアトリートメントプランを選択した。髪色は黒一択で、ヘアアクセもアレンジもできないのならせめて髪の毛を労わろうと考えた。がむしゃらに働きながら、サロンの予約日を待った。
すこし涙も出るのは、きっと香りがあまりも素敵だったからだ
初めてのサロンはいつも緊張する。美容師は、ずっと蔑ろにされていた私の髪を丁寧にシャンプーし、頭皮をほぐし、ヘアパックを髪全体に馴染ませていった。流れるように工程は進み、私の髪はいつの間にか蒸しタオルに包まれていた。病院でも同じように髪を隠すことだって多いのに、こんなにも穏やかですこし涙も出るのは、きっとヘアパックのローズの香りがあまりも素敵だったからだ。
目をつぶる。救急車で運ばれてきた患者さんのことを思い出す。ぐったりとしたその人に駆け寄り、心臓マッサージを何百回とやり、薬もたくさん使ったけれど、それでも、駄目だった。最善を尽くした結果にせよ、助けられなかったという思いはこびり付いて取れない。「泣いてばかりいられないよ」と上級医は言うが、泣いて反省して次に活かす以外に私にできることは見つからなかった。
この髪とは、今までの悔しさも悲しみも全部一緒に乗り越えてきた
1人でやる反省会には終わりがなかったが、ヘアサロンでの時間の流れは穏やかで、暖かだった。ゆっくりと蒸しタオルをほどき、シャワーで髪を洗い流していく。ブローをしてもらった髪に手を伸ばすと、とろけてしまいそうに柔らかな髪になっていた。また少し涙目になり、顔用の蒸しタオルで慌てて目を押さえた。漂うアロマの香りが優しかった。
「研修医の先生って、髪つやつやよね」ある日の夜間勤務中、病棟の看護師がそう私に言った。病院に入職して半年がようやく過ぎた頃である。
「そうですか?ありがとうございます」私はパソコン入力の手を止めずに、素知らぬ顔で答える。つやつやで当たり前である。この髪とは、今までの悔しさも悲しみも全部一緒に乗り越えてきたのだから。無力感に苛まれ、挫けそうになるたびに、サロンで反省会を開いていた。強くなり、より目標に近づくたびに、髪も綺麗になっていった。低い位置で結んだ髪の毛の先を撫でるだけで、また強くなれる気がした。