ないものねだりなのはわかってる。
きれいにネイルされた爪に憧れていた。
つるんとしたそのネイルは、太陽の光に当たったようにきらりと輝いてみえた。
ある人は冬の冷たさの中で、温かいココアを差し出されたようなネイルをして、ある人は画家、モネの油絵の具のような情緒的な色を纏ったネイルをして、憂いを指先から伸ばしているようだった。
ネイルができない私は、ネイルされた爪に憧れ始めた
職業柄、ネイルができない。
きれいな爪を見るたびに、羨望の眼差しを掬い取るように、目が爪にとらわれていた。
朝から晩まで2畳半のキッチンで包丁を握って、料理を作っては出す。
食材に気をつかう仕事な以上、衛生面を保つために、清潔感を保つために、ネイルをするのはもちろんご法度だ。
日曜日のめまぐるしい忙しいランチタイム。深呼吸ができないキッチンの中。
止まらないオーダー、必死でフライパンを振る、急いでオーブンを開けて、180度の鉄板で、「熱っ!」、手の甲をやけどする。
その繰り返しの毎日。
やけどが増えるたびに、「キッチンを立つ人の勲章だ」なんて、冗談めかして笑っていた時もあったけれど、包丁を置いた休みの日、ひとたび外に出れば、友達のつるんとしたネイルされた白い手が、ふと目に入る。
その時、自分の手の甲のやけどは、勲章でもなんでもなくて、サッと隠してしまいたくなるものになった。
それから、包丁を握って、キッチンに立って、やけどされた手を、誇りに思うことはなくなった。
そして、きれいにネイルされた爪に憧れ抱き始めた。
自分の願いを叶えられるのは自分しかないと思った
2020年、社会のスピードが遅くなり、生きやすくもなり、周りの目がより柔らかい世界になった時、改めて、自分のやってみたいことが頭に浮かんだ。
それがネイルのことだった。
包丁を握っていたら、決して、できなかったこと。
キャリアチェンジをしようとおもったときに、包丁を握っていた自分が、本当に叶えてみたかったことを叶えてあげたいと、おもうようになった。
「本当は、こうしたかったよね」
「本当は、こんな自分になってみたかったよね」
「一回、やってみてもいいんじゃないか」
だって、自分の願いを叶えてあげられるのは、自分だけだって、知っているから。
こうなりたい自分がいることがいていいってことに気づけた年だった。
自分の気持ちに気付いたのは、立ち止まったからこそ
こうなりたい自分を見つけられたこと。
2020年の自分に感謝したいとおもう。
自分の心の中のちいさな声を掬い上げることは、日々日常、忙しない一日の中で、無視をしてしまうことが多く、耳を傾けても聴こえないこともある。
立ち止まった時間があったからこそ、向き合えた。
包丁を置いて、ネイルを塗って、新しい世界へ。
もう少しだけ、陽の当たる場所に、自分を置いてみることをしてみたい。
太陽の光とともに、きらきらひかる、塗ったばかりのネイルを乾かしたい。