手、きれいだね。
狭い部屋の中、手と手だけで繋がった二人。沈黙にそろそろ焦れてきた頃、不意に隣に座っていた好きな人が口にした。
手?私の?

私の手を好きな人が好きだと言ってくれた。ただそれだけで嬉しかった

顔でも、腰のラインでも、胸でもなく、手。容姿について語るとき、そう話題に出る部位でもない。だからこそ、それは沈黙に耐えかねて苦し紛れに口にしたのではなく、本心からふと口をついて出た言葉なのだろうと思えた。
見るとはなしに眺めていた机の上のしみから、繋がれた手に視線を落とす。手がきれいだなんて、人から指摘されたことはもちろん、自分で思ったこともなかった。
繋いでいた手と手を解いて見比べる。ほくろの多い、日に焼けた小さな手。とりわけ魅力的にも、不格好だとも思わない。そもそも、人の手も自分の手も感慨をもって見たことなんてなかったから、それがきれいなのかどうか、私には判別がつかなかった。好きな人が好きだと言ってくれた。ただそれだけがその時は嬉しかった。

褒められてから欠点が愛すべき点に変わり、もっとこの手を好きになる

手がきれいだと言われた日から、自然と人の手と自分の手に目が留まるようになった。職場で、帰り道に寄ったカフェで、電車の中で、SNSで。
上司の指が長くてきれいだとか、さっきの店員さんの爪はネイルが似合いそうだとか、つり革をつかむあの手は柔らかそうだとか、このモデルさんの手は真っ白だとかとぼんやり考える。

周りの人の手と自分の手とをそっと見比べる。指は意外にすらりと真っすぐだけれど、よく見ると中指と薬指が寄り添うように少し曲がっている。爪の形はそれぞれ違って、親指と人差し指の爪は丸っこいのに他の指は角ばっている。どう考えたってつけ爪でもしない限りネイルは似合いそうにない。手のひらは薄く平べったくて、日に焼けた手の甲にはほくろが点々と散らばっている。

案外手というのは、それだけで人を判別できるくらいに特徴のある部位なのだな、とひそかに驚く。見比べるたびに粗ばかり見つかる。それでも、この手をきれいだと言ってくれた人がいる。
手、きれいだね。あの日の言葉がよみがえって、浮かび上がった欠点ひとつひとつがいつのまにか愛すべき美点に変わっていく。
私の手は、きれいだ。今まで無縁のものと思っていたネイルオイルを爪に塗り込む。いい匂いのするハンドクリームなんか塗ってみる。まじまじと自分の手を見つめる。悪くない。きれいだと言われて興味を持って、知った。私の手が魅力的だということ。

好きな人が私にくれた最初で最後のプレゼント。今もこの手が愛おしい

自分の中にすごく好きなところがあるというのは、とても幸せなことだ。
疲れた時、落ち込んだ時、私は自分の手を見つめる。それだけで、気持ちが上を向く。
暑い夏に浮かび上がる血管や、指先を動かす度に動く筋を色っぽいと思う。小さくてそれぞれに個性的な爪の形がかわいいと思う。手の甲に散らばったほくろはなんだか星座みたいだ。見つめるたび、新しい好きを見つける。この手のすべてを、愛おしいと思う。

きれいだと言ってくれたあの人はもう過去の人になってしまったけれど、私は今でもこの手が好きだ。
好きだった人が私にくれた、最初で最後のプレゼント。
いつかこの薬指に誓いの指輪がはまる日がくるといい。傷をつけたり深爪してしまったりもするかもしれない。そのうち水を弾かなくなって、しわだらけになるのだろう。それでも、きっとこれから先も私は、ふとした瞬間にこの手を見つめてしまうのだと思う。

今日も私の手は、きれいだ。