26歳女。
恋愛経験なし。
結婚願望も特になし。
いや、あるといえばあるんだけどまあそこまではないというか。
結婚しない人生もありかな、というそれぐらいだ。
私自身は納得している。
母の言葉。善意からの「普通」だったのだろうが、嫌になった
けれどもまあこれを母に言ったところ返ってきたのがこれだ。
「でもいつかは好きな人が現れるかもしれないよ」
いやだから26歳まで現れなかったんだってば。
「今はいいかもしれないけど一人だと寂しくなるよ」
まあそうかもしれないね。
「孫の顔見たいな」
ごめんけどそのためだけに結婚相手を探す気にはなれない。
「いつかは普通に恋愛して結婚するものと思ってたんだけどね」
はい、極めつけはこれ。
普通に恋愛して結婚してって難しくない?
いや私普通に生きてきたんですけど。それで恋愛をしていないんですけど。
とまあ、そんな文句を言いたくなる。
善意からくる「普通」という言葉だったのだろうが、私は何か残念に思われた気がして嫌になった。
私は何だか「申し訳なくなる」から、恋愛に向いていない
決して私の理想が高い、とかではないのだ。
私は何だか「申し訳なくなる」から恋愛に向いていないんだと思う。
私に時間を割いてもらうのが申し訳ない、相手に何か返せてるか分からないから申し訳ない、申し訳なくなるぐらいなら自分が自分を愛してあげればそれでいいんじゃないかって、そういう思考になるのだ。きっとこれ、普通じゃない。でもそんなに悪いことでもない、はず。
妹やいとこが、友達が結婚して子どもを産んで、いいなあと思うこともあった。結婚してみたいな、なんて。でもそう思った3秒後ぐらいには他人に付き合わせてしまうのは申し訳ないなと思ってしまう。ほら恋愛も結婚も向いていない。
だからひとまず一人でも幸せでいようと思っているのに、周囲(主に母親を始めとする親世代)は「いつかは良い縁があるよ」だの「結婚した方が楽しいよ」だの言うのだ。
もう一度言う。
普通に恋愛して結婚してって難しくない?
少なくとも私には難しい。
「普通じゃない」の言葉で傷つくのは、自分が否定されたと思うから
じゃあどうするか。
自分がどう生きたいかを明確にして、それが良ければ問題ないのだ。
結婚しない人生、恋愛しない人生を私が肯定すれば良いだけの話だ。
もちろん何かの良い縁があってそういう未来が訪れたらそれはそれで良いことだろう。
だけどそれだけに重きを置くというか、それができなかったから引け目に思うとか不幸と感じるとかそういうのをしなければ、例え誰かが何を言おうと特に問題ないのではないだろうか。
私はこれから、恋愛しないかもしれないし結婚しないかもしれない。
それでも好きなピアノを弾いて、楽しく過ごして、困っている人には手を差し伸べて、たまに募金して、そこそこ善良な一般市民として働いて、納税して、そうやって生きていく。
友達や家族に良いことがあったら一緒に喜んで、お祝いして。笑顔を絶やさない。
そんな人であれば私は私を肯定できる。
ここまで書いて、ちょっと気が楽になった。
「普通じゃない」という言葉で傷ついたり落ち込んだりするのは、結局のところ自分が否定されたと思うからだ。
肯定できさえすれば、心は軽くなる。普通かどうかって問題ではなくて、多分自分が肯定できるかどうか、だろう。
私の人生は私だけのもの。
楽しいことも、嬉しいことも、幸せなことも、辛いことも、全て私だけのものだ。
人生はそんなに長くないのだから、そこに「普通はこうだから」なんて価値基準を持ってきて悩んでばかりいたら、もったいない。