私は、多様性のある社会にしたい。

私にとっては、男性だとか女性だとか、そういうのはどうでもいい。むしろ境界線がなく、曖昧で当たり前だ。ひとりひとりの性格が、“明るい”や“大人しい”とあるけれど、明るさや大人しさが全く同じ人がいる? いや、いない。それと同じで、心の性や好きになる性が全く同じ人は存在しない。

差別は「無知」から始まる。それが失礼に当たると知らないだけ…

多様性のある社会にするには、まずどんな人たちがいるのか説明しなければならない。今はその過程だから、「性自認には流動性がある」と説明したところで、見当違いな批判が殺到するだろう。これは“セクシュアル・フルイド(sexually fluid)”といって、主に欧米で浸透している。

現に、少しツイートしたことで「性染色体はコロコロ変わりません!」という指摘をもらった。セクシャリティの話をしているのに、急に生物学の話にすり替わった。世の中には話が通じない人もいるもんだなぁと不思議。

差別は、無知から始まる。ただ、それが失礼に当たると知らないだけなのだと思う。相手が不快に思うなら、言わないのが当たり前だ。今までは差別されるから、言わなかっただけである。ひとりが発信すれば、みんなカミングアウトするものだし、自認する人も増えるだろう。

私はアセクシャル。でも、私とみんなの「好き」って何がちがうの?

私もそのひとりだ。LGBTQ+をニュースで観るようになってから、アセクシャルを自認した。アセクシャルとは、無性愛で恋愛感情を抱けないセクシャリティのこと。私が恋愛だと考えていたものは、周りのいう愛や恋ではなく、芸能人や友達に対する“好き”だった。

私の“好き”とみんなの“好き”何がちがうの? 別に同性とも恋、できるけど……? え、それは恋愛感情じゃない……? といったように、かなり混乱する。

通りでセックスをしている人たちを見かけても、執着しないと思った。普通の人と同じように、好きになれると思ったんだけどな。なんか違ったみたい。ああいうのって、恋愛感情がないと興味も執着も何も生まれないみたい。これを話すと「悟ってるね」と言われるけれど、たぶんそんなもんじゃない。元から恋愛できる素質みたいなものを生まれ持っていない。

まあ、こんなことをしていると、相手がメンヘラ化し出すので、同じアセクシャルじゃないと付き合えないと思う。現に元々カレぐらいがストーカーになった。身をもって実感した。恋愛感情の気持ちは分からないけれど、私が好きじゃないのに付き合うと、相手が困るってこと。だから、ハッキリと説明して振る必要があること。それを知った。結構、逆恨みされることも多いけれど、その方が何倍もマシだってこと。

分類しなくていい。私は、自分の価値観を持っている「ひとりの人間」

「近くに当事者がいない」と言う人がいるが、私だって家族や近所の人にカミングアウトしたことはない。メリットより、デメリットの方が上回っているから。それに、別に聞かれてないのに答えなくていいし、理解してもらえなくていい。家族でも、結局は他人だから。全否定しなかったら良いと思っている。私は私で、私の価値観を持っている、ひとりの人間なので傷つくから。

LGBTQ+を犯罪に利用する人がいるなら、法律で罰すればいいだけ。その中にも悪い人がいるのは当たり前。これからルールをしっかりと定めて、改善を重ねればいいから、まずは、双方の立場に立って考えられる機会を設けなきゃね。今後、出てくるかな。

私は異性としか付き合ったことがないからアセクシャルだけど、今後同性と付き合えばレズビアンと呼ばれる。そんなもの、名称は後からついてくる。分類を基準に考えないで。実在する人間が先だよ。

いつになったら、多様性のある社会になるかな。