写真に写る自分を見ると、気恥ずかしさでいっぱいになる。友人と会った時の「ねぇ、写真撮ろう」の一言は、25歳になった今も少しそわそわする。写真に写るのが嫌いなわけじゃない。その一言を聞くと、これから写るんだ…!とつい身構えてぎこちない表情をした自分の写真が残る。私の場合、不自然さが際立って目も当てられないのだ。だから、写真を見返すことはあまりしなかったし、する必要がないと思っていた。

社会人3年目になりコミュニケーション向上の一環として、部署内に配信するメールマガジンの作成を担当することになった。部署のメンバーからハマっていることなどの簡単なアンケート内容や、最近撮った写真を集めて掲載する。配信を重ねていくうちにいつも楽しみだという声を聞くようになり、大変だけど編集することにやりがいを感じていた。

スマホの写真フォルダ。2020年に自分が写った写真が全然ない

このメールマガジンの作成で、ひとつ困ったことがある。
人に写真を送ってくださいと言っているくせに、私は写真を持ち合わせていなかったのだ。スマホの写真フォルダには、2020年に自分が写った写真が全然ない。理由は明確で自粛が叫ばれ、友人に会う頻度も減り、大好きなライブや旅行にも全く行けなかったから。もともと自ら写真を撮ろうとするタイプではないが、さすがにスクショだらけの写真フォルダを見て言葉を失った。

写真フォルダを遡ると、2019年の写真にたどり着いた。そういえば2019年ってどんなことしていたんだっけ?ふと、そんな気持ちが生まれた。気になって1枚1枚写真を見返してみると、当時の記憶が鮮烈にフラッシュバックした。心配されるぐらい日焼けしたけど楽しかった香港旅行。福岡の友人が遊びに来た時に一緒に登った東京タワー。曇っていたけど、都内を一望出来てワクワクしたなあ。あ!この吉祥寺のカフェのパフェ甘さ控えめで、ほっぺたが落ちるくらい美味しかったからまた食べに行きたい!!

写真を見返すのって過去にタイムスリップしているみたい

写っていないはずの生々しい感情や場面が次々と呼び起こされた。写真を見返すのって過去にタイムスリップしているみたいで意外と楽しいかも。写真は目にしただけで、形として残せないものを思い出させてくれる現代の魔法道具だと強く思った。今まで写真に写る自分を見るのは恥ずかしかったけど、ぎこちなさも含めて「その時の自分」の懸命な姿にだんだんと愛おしさを感じるようになった。

気持ちの変化があったからこそ、2020年の自分の写真がないことがとても寂しく感じた。色んな出来事があったのに思い出すきっかけをひとつ無くしてしまったのだ。
「この年、自粛ばかりしていて特になにもなかった」と何年後かに思うのだろうか。そんなの悲しすぎる。これから世界の情勢がどう動くかは予想できない。

2020年のフォルダが空っぽだからこそ、2021年は、意識的に1枚でも多くの写真に自分の姿を残していきたい。そして、未来の自分が振り返った時に「2021年は充実した年だったな」と笑いたい。誰かと写真を見ながら笑い合っていたらさらに理想的だ。
他の人に比べたら小さな宣言かもしれない。写真のぬくもりを知ったからこそ、絶対に2021年に成し遂げたい目標なのだ。