大学進学を機に京都へ越して来て、もうすぐ3年目に突入。念願だった京都住まいが決まった当初に思い描いていた「京都生活謳歌」は、あまり実感できていない。

「古都・京都らしいことがしたい!」「和を感じられそうな旅館のバイトとかしたいな~」と、張り切っていたのにも関わらず、実際のバイト先はイタリアンレストラン。街の所々で京都を感じる風景には出逢うが、生活自体は地元とさほど変わっていないように感じる日々。
学生生活は楽しいが、「京都らしいこと」ができていない物足りなさが、最近どんどん強くなっている。
コロナ禍で制限のある生活だからだろう。学生生活が後半に差し掛かっているからだろう。
京都での学生生活にタイムリミットを感じている。

大学生活も折り返し。京都でやりたいことがたくさんあった

この焦りを感じ始めたのは、夏休みに帰省したときだった。
「もうすぐ大学生活も折り返し地点だな~」という父の一言。この一言で時間の流れの速さを感じてしまった。
この一言に加え、帰省中や電話での会話では、父は毎回のように「大学生活でしかできないこと沢山あるぞ。何事も挑戦だ、とことん楽しみなさい。」といい、応援してくれる。またコロナ禍のニュース報道では度々、休学や退学を考える学生の現状が報道され、大好きな土地で楽しい学生生活を送れている有り難さも感じていた。
それらが重なり、「私、京都でしかできないことできてる?したいことあんなにあったのに?」と、京都市民なりたてだった頃にしたかったことを振り返るようになった。
そこで最初に思い出したのが、時代祭の行列に参加する!という夢だった。

「時代祭に出たい」という夢は、生活とコロナで実現できず

時代祭といえば京都、京都といえば時代祭と言えるほど歴史のある京都3大祭りの1つ。
時代ごとに特徴のある衣装を着て京都の街を練り歩くこのお祭りは、私が京都らしさを最も感じられる風景が盛りだくさんだった。
それに加え、歴史ロマンを感じられる伝統芸能や工芸品が大好きな私にとっては、夢のような光景でもあるのだ。その為、京都市民しか行列に参加できないという事実を知った時は、「絶対出なくちゃ!」と張り切っていた。
しかし、あっという間に2年が過ぎ、行列に出られる2度もあったチャンスを逃し、現在に至っている。
1度目のチャンスである大学1年次は、とにかく新しい環境での生活に慣れるのに精いっぱいだった。慣れない授業に、新しい友人関係、バイトに課題。楽しいと言えば楽しかったが、毎日が大忙しだったように思える。
そして海外旅行や新しく何かを始めよう!と意気込んだ2年次は、コロナの影響で学校に行くのはおろか、制限だらけの生活だった。もちろんその年の時代祭は中止だった。
だから現在に至るまで、京都での夢を叶えきれていないのだ。

夢の「平安人」になるには2021年が最後のチャンス

しかし、2021年こそは逃せない。最後のチャンスなのだ。
なぜならゼミ活動が始まり、就職活動に向けても忙しくなり、個人の時間が取りづらくなる為である。
「作ろうと思えば時間は作れる」「学生生活後でもいいのでは?」と言われるかもしれない。
だが、京都での学生生活でしたかったことを諦めたくなかった。就職先は県外になる可能性もある。「京都市民」という特権を持つ学生のうちに思っきり楽しんで、京都らしい何かを残したかった。
もしかしたら2021年の時代祭も中止になるかもしれないし、まだ開催されるかも分からない。だけど私は必ず夢の平安人になる。そして大好きな京都の街を練り歩くんだ、と意気込んでいる。
コロナで制限だらけの生活、今は諦めないといけないことが沢山ある。だけど思うことはやめたくない。希望を持って、できるようになる時を待ちたい。今だからこそできることがある、学生のうちだから、京都市民だから。
行動は制限されても気持ちはコロナに負けないで、今年こそ夢の平安人になる。