人の気持ちや考えていることは、大部分がその表情や態度など、表面的なところに表れている。それも自分が思っている以上にはっきりと。
だからポーカーフェイスの人は、珍しがられ映画や小説などで誇張して風刺されることが多い。
相手の気持ちを「読み取ってしまう」ことは、息苦しくもある
ちなみに、私は表情が豊かな方だと思う。表情筋は自由自在で、私の“眉をひそめるパターン”は少なくとも3つはある。オフィス中に響き渡るようなバカ笑いもする。実際に「顔に出ているよ。わかりやすいね」と幾度となく言われてきた。
だからなのか、私は人の気持ちがすぐに読み取れてしまう。「あ、今苛立っているな」「落ち込んでいるな」「今日は昨日より機嫌いいな」などなど。
読み取れて“しまう”と書いたのは、私が望んで読み取っているのではないから。
なぜなら、私にとって相手の今この瞬間の気持ちを察知するということは、身動きがとれなくなってしまうことを意味するから。
一瞬で相手の気持ちが入ってきてしまうというのは、とても息苦しい。
相手が笑っている、その一コマをとっても「あれ、愛想笑いだ」「こんなつまらない話早く終われって思っているな」「なんか上の空だな…」とか。
でも、どうしたらいいかわからない。
知りたくもない相手の気持ちを勝手に吸収して、それにどう対応したらいいかわからずオロオロ。
しかも、その気持ちはマイナスなことが多いから、多少なりともダメージを食らう。正直なところ、相手の気持ちを察することもできない鈍感な奴でいられたほうが幸せだと思ってしまう。
生活のあらゆる場面で、何も「察したくない」のに感じてしまう…
そしてその“余計な察し力”は、もちろん面識のない人にも働く。カフェや売店、アパレルショップ、スーパー。そして、極めつけが横断歩道だ。
歩行者信号が、青でも左折・右折車が回り込んでくる。そう、私が苦手なのはこの瞬間。
だって、私も車も早く渡りたいと思っているから「行くの?どうなの?」を知らない人間同士でやり合うじゃない。ここよ。
うまく生きている人は、ちらっと運転手さんの方を見て「すいませーん」なんていいながらぱぱっと渡っちゃうのかもしれない。だけど私は、運転手が怖くて見ることができない。だって、もし急いでいる運転手さんが、渡ろうかどうしようか悩んでいる私を見てイライラしていたら? 舌打ちしているのが見えてしまったら? まさかだけど「早く渡れよ」とつぶやいているのが見えてしまったら…。
そんなことに怯えて、横断歩道は青になった瞬間に必ず小走りで渡るし、もし回り込んでくる車の気配があれば、頭を下げている風を全方面に向けながらダッシュで渡る。もちろん、どちらのパターンでもまっすぐ前、横断歩道を渡りきった先しか見ない。何も察したくないからね。
こうして文章にしていると、笑える。滑稽。
しかし、何か見ると知りたくない情報まで入ってきてしまう。それが嫌だから無意識にこんな行動を取ってしまう。
もしかしたら、誰かのマイナスな感情を一早くフォローできるのかも!
話は変わるが、私の30代の上司は全く“察し力”がない。こちらが早く会話を切り上げてもとの業務に戻りたいと思っていても、のんきに雑談を続けてくる。表情豊かな私のことだから、おそらく表情や態度にはっきり出ているはず。
「まったく、いい加減私の気持ちも察してよね…」と、ため息をついたところではっとした。
あれ、この人、私の気持ちわからないんだ。
そう気付いて、なんだかすごく気持ちが明るくなった。
人の気持ちを察することができるって、特別なことなのかも知れない。マイナスな気持ちが入ってくるのは嫌だったけど、もしかしたら私にだけ察知できる誰かの悲しみ、苛立ち、不安があるかもしれない。そして、そんなマイナス感情を一早くフォローできるのは私だけなのかもしれない。
残念なことに、生きていれば悲しいこともたくさんあるし、悩みはつきもの。それを誰かの表面的な動きから察知できる力は、たくさんの人を助けられるのではないか。大した力ではないけど、これも能力。この力を磨いておけば、いつか役に立つ時が来るかも知れない。
よし。磨こう。磨いて「超能力」と言えるくらいの特技にしよう。
私は、自分の嫌いなところだって武器に変えて生きていくよ。
明日は、横断歩道を回り込みたい運転手さんの目を見てみようかな。「止まってくれてありがとうございます」そんな気持ちを込めて。その時、運転手さんはどんなことを考えて、どんな表情をしているんだろう。楽しみだ。